「情の世界」
【21】日本の国のお掃除
今日本は、国の情の穢れを一度お掃除しなきゃいけない。それにはどうすればよいか。家庭っていったってなかなか聞かない家庭が多いから、学校教育を変えるのがよいでしょう。
これは大多数の人が成程そうだとわかって、その声が高くなってこなきゃ変えられやしない。今そういう政治の仕組みでやろうと約束しているからしようがない。あれ、間違っているんですけど。日本はあんなことしたら非常にやりにくいんだけど、今そうしているんだから仕様がない。
これはいかんと皆思い出したら、これはもう、議会でいっぺんに変えてしまえる。そうすりゃ、70年待ってたら人はことごとく変わってしまう。てっとり早くお掃除が出来る。情の濁った人が生い立ってこないように、注意だけしたらよい。
ここでいっぺんお掃除しなきゃ始まらんと思うほど、濁りがひどい。だいたい応神天皇以後、外国の真似をそのままやったっていうのは、国の情を濁らせたということです。そのお掃除は、いっぺんやらなきゃいかんのです。
明治維新ではお掃除するどころか、より余計濁らせてしまった。終戦後はそれがはなはだしい。ここでいっぺんお掃除すべきです。これが神々の計画だと思う。
(質問) 今のように「人に節操あるは情あるによる」っていうように云って頂くと、わかる人にはピリッと来る・・・
あそこを漱石、なにげなく云った。あの言葉、だいぶ邪魔になってますよ。情に棹させば流される。これ感情のことです。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」って云うんだったら、しからば人は如何に生くべきかの厳粛な問題でしょう。それを「兎角に人の世は住みにくい」なんて軽口云ってしまった。
漱石、のちに「こころ」っていうのを書いた。あれが情の働きです。しかし「草枕」の方が世の中によく通ってしまっているでしょう。知らず知らずに非常に悪いことをしたのですが、漱石が悪いんじゃない。明治以後が、欧米の思想を取り入れたのが悪いんです。
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