「情の世界」
【22】 情は液体
流されるもなにも、情は液体のようなもの。だから知のようなわけには出来ない。自分だけが幸福になろうとしても、これは出来ない。ここまでは自分で、そこからはそうじゃないという境い目、これは出来ないんです。情というのは、真情としても、なおそういうものです。宇宙の存在あるは情あるによる。
なお、外界が時間空間の中にあるとみえるのは、前頭葉あるによるんですよ。この鏡に映すと、総て時間空間というふうなものの中のことになってしまう。これ、前頭葉に映した影です。
カントなんか、時間空間は先験観念である、自分はこれなしには考えられないと云っている。西洋人は前頭葉の世界のことしか考えられないんです。
ともかく、前頭葉が働いてわかるんだったら意識を通す。ところが日本人は、意識を通さないでわかるという雰囲気の中にだいたい住んでいる。秋風も、時雨のもの懐かしさも、みな意識を通しゃしません。
座の空気がわかるっていうのは、意識を通しません。その座の空気がわかるっていうようなこと、日本人はすぐに云います。西洋人、云わんでしょう。これは意識を通さずにわかる。西洋人にはわからない。
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