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2017.05.02up

岡潔講演録(26)


「情の世界」

【24】 「春雨の曲」を書き直す

 (質問) 昨年お書きになりました「春雨の曲」ですけれども、私共出版されるのを楽しみにしておりましたんですが、あれはもうどこへもお出しにならないのですか。

 出しません。あれから140枚ほど書きかけましたが、これも書き直します。わかりきったことを丁寧に説明しようと思う。わかりきったことが、実はちっともわかってない。(笑)それほど欧米の思想を鵜呑みにしている。

 「春雨の曲」とする。冬枯れの野を緑にしようと思ったら、春雨おやみなく降り続くるようにするとやればよい。だからそんなふうに、いちいち丁寧に書かなきゃいかんでしょう。春雨おやみなく 降り続くるようにする、そうすりゃ、冬枯れの野が緑になるだろうと思っている。

 日本人は悟っているんだけど、無意識的に悟っていて、意識的に悟っていない。で、意識的に悟るようにしなきゃいけない。

 平生の生活もだいたい涅槃なんだけども、それを涅槃と知らない。前頭葉がわずらわしている。それさえ取去れば、あれが涅槃です。だから日本人は、悟ったりいろいろしようと思えば、自分の身辺のことを見直してみればよい。日本人は悟るにはそうすればよいんです。他の人はそうはいきませんけどね。意識しないでちゃんとやってるんだけど、それを意識しない。

(※解説24)

 「春雨の曲」の第1稿は1971年夏に書かれて、毎日新聞社に原稿を渡してあるが、それについて何の返辞もないという岡の講義の録音が残っている(1971年9月)。「あれから140枚ほど書きかけた」と岡のいうのは第2稿のことである。しかし、第1稿も第2稿も残念ながら断片しか残っていない。

 さて、1973年に私が岡家で岡と対面した時、じかに書いてもらった句がある。それは「山暮るる野は冬枯の涯もなく」であった。私はちょっと淋しい句だなあと思ったのであるが、あれから40年程経って2011年に手に入った色紙がある。それにはこう書かれてある。「冬枯の野に萌え出でよ若緑」。何とうれしい言葉ではないか

 猶、「(日本人の)平生の生活もだいたい涅槃なんだけど」とはどういう意味だろうか。それは「秋風や時雨のもの懐かしさ」を意識を通さないで感じている時が「涅槃」であるという意味である。

   

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