「情の世界」
【26】 わかったら人に話す
情というのが本体である。無生物もそうだろうと、そう云われてるんだけど、生物は勿論情あるが故に生きてる。しかしその情というものは、昆虫なんかにはよく現われてない。
意識的には現われてはないんだけれども、例えば蝶の羽根のきれいな模様、あれは情の働きです。情に妙観察智という智力が働いたものです。周囲がきれいだったら、羽根もそうなるんですね。雨蛙が周囲の色に同化する。土に下れば土色になり、木の葉にのぼれば緑色になる。これも情の働きです。
(質問) 大層よいお話を聞かせて頂きました。今日は先生、晴々とした気持で帰れます。どうもありがとうございました。
そうですか。それはよくわかって下さって。神々はここで日本の国の心の大掃除をしようと思っているに違いない。で、その後についてやればよいわけです。
日本人はちょっと話せば、わかることはわかる。しかしやろうと思ったら、1億ったら大変な数だから、わかった人がまた話してくれるというやり方をしてもらいたい。1人で話してまわったら、こんなもの命がいくらあっても足りない。
だからわかったら話すというようにしてもらいたい。これが出来るか出来んかですね。出来るんだと思う。神々はそうさすつもりでいるんだろうから、それなら出来るんだと思いますけど、これさえ出来ればいっぺんに変わってしまう。お掃除はいっぺんに出来るんですね。
あと人が変わるのを待ってりゃよい、教育を変えてね。家庭教育も出来るだけ変えて時のたつのを待ってたら、自ずから心の濁りはとれてしまう。だから人に話せるようにわからなきゃ。(笑)
その為には、これは大事だ、これは切実だという実感をこめてわからなきゃ、話そうとしやしません。自分の身辺を自分の情の目で見極めていけば、1人1人みな話すことが出来ます。
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