(※解説3)
岡はまず「物質主義者はこんなふうに考えます」といって、「時間空間」からはじまる自然観の説明を進めていっているのだが、もともと西洋の影響を受けた今の我々の自然観を、我々にかわって代弁することからはじめている。
それに対して岡は、我々の全く知らない東洋の仏教の自然観を持ちだしてきて、目には見えない「心」を出発点とする自然観があることを、ここで我々に提示しているのである。
例えばであるが、この宇宙に外界を認識する能力のある「生物」が仮に1匹もいなければ、この宇宙は本当に存在するだろうかという問題がある。西洋の物質主義はそんなこととは無関係に、この宇宙は客観的に歴然と存在すると思っている。
しかし、外界を認識する「心」を持った生物がいるから、つまりこの宇宙に「認識する主体」があるから、この宇宙が存在するといった方が正しいのではないか。だから私は、岡のいうように「自然は心の中にある」と思うのである。これは次の「何故見えるのか」と関連する問題でもある。
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