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2017.11.09up

岡潔講演録(28)


「真我への目覚め」

【5】 理性と無差別智

 普通の人が、経験することによって知っている知力は、理性というような型の知力です。この知力は、まず、意識してでなければ働かない。つまり、働かそうと思い、その努力を続けている間だけしか働かない。

 第2の特徴は、少しづつ、順々にしかわかっていかない。しかし、人が経験する知力に、まれにではあるが、こういうものでないのがあります。例えば、数学上の発見の時に働く知力は、こんな型の知力ではない。このそうでない型の知力を一番経験するのはどういう時かというと、仏教修行の時です。

 仏教の言葉で説明すると、まず、その知力は、無意識裏に働くのです。働かそうとも思わず働かしているとも意識しないのに働く。そして、結果が出る。その結果の出方は、一時にパッとわかって、順々にわかっていったりするのではない。この2つの特徴をもった知力を〝無差別智(むさべっち)〟というのです。

 無差別とは、無意識というような意味です。仏教の修行をしますと、無差別智がよく働く。そして、我々が肉眼を使って、いろんなことを知るように、無差別智を使って修行を深めていくのです。それで、仏教には、ごくまれですが、非常な高僧が出る。仏教が、日本に渡ってから、すでに1300年、ごくまれに出る非常な高僧の経験を書き記したものによって、無差別智のことは非常によくわかっています。

(※解説5)

 西洋では「理性、理性」と理性を非常に重視するが、岡にいわせれば逆にそれは「意識的にしか働かない」また「少しずつ順々にしかわかっていかない」という意外と不完全で不自由なものなのである。

 それで西洋でも「直観」というものに目を向けているのだろうが、しかしそれは光明主義のようにとても4種類の識別はなく、ただの1種類だとの認識であるし、「直観」は神秘的要素のあることから「理性」ほどには重視されていないのも事実である。

 一方、東洋の仏教にもこの「無差別智」に言及している宗派はあるにはあるのだが、光明主義のようにこれを詳細に説いた宗派は外にはないようである。だから岡もこの光明主義がなければ、この「無差別智」にはたどり着けなかったのかも知れない。

 しかし、生命現象、つまり人間活動全般を説明するにはこの「無差別智」は不可欠であって、西洋心理学でも次第に「直観」のウエイトが高まってきているのも、この「無差別智」の重要性に暗に西洋が気づきはじめた証拠ではないだろうか。参照・講演録(18)の15

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