(※解説15)
この辺からは小我の「知情意」を説明していくところであって、先ず餓鬼道(知の異常)、次に畜生道(情の異常)、最後に修羅道(意の異常)の順である。
あの時代、昭和の絶頂期ではアメリカに教えられて小我の価値観が日本でも花盛りの時代であったから、少し言い過ぎかも知れないが、人の欲望を最大限に刺激することが当時の経済界のやり方だったといってもよいのである。そういう世界を餓鬼道というのだが、岡はその時代の「社長さん」を持ちだしてきているのである。
岡の結論は、人としてはその餓鬼道は抑えなければいけない。それを抑えるのは大脳前頭葉の抑止力だと岡はいいたいのである。「人がこの抑止力を自主的に使わなかったら、人としての品位を維持することができない」と。
最近、確か東北大学の川島隆太教授なんかが、「大脳前頭葉にはエゴイズムを抑える抑止力がある。それを行使しなければ社会秩序は維持できない」などと言い出しているようだが、これは別に新しいことではなく、岡と親交をむすんだ東京大学の脳医学の権威、時実利彦先生が当時からいっていたことであるし、もとをたどれば前世紀以来の医学の定説だと岡はいうのだから、ここでも今の脳科学の人間観の皮相さが改めて目につくのである。参照、講演録(7)の9
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