「岡の大脳生理」
【9】人の座―前頭葉
真我への目覚め 1967年12月
日本の産業界は、最近、非常な躍進を遂げ、今や、工業生産力世界第3位といわれます。アメリカ、ソビエト、日本と実際大したものですが、しかし物を作っただけでは、国家の経済的繁栄はもたらされない。売りさばく方も、うまくやらなくてはならないだろうが、そこがどうなのか、非常に危うんでいます。で、近頃、実業界の内情にとても通じている人に会ったので、様子を聞いてみたところ、果たして非常に悪い。
一口に言って、どんなふうか。例外はあるが、一般に、大会社になればなる程、その経営者例えば、社長さんは、自分はそうしてはいけないとわかるのだけど、それをしないではおれないのだと、こう言っているというのです。
実際、その言葉通りだとして、これはどういうことなのか、大脳生理学に聞いてみます。大脳生理学のいうところによりますと、哺乳類には、本能とか、それに伴う感情とかが時を誤り、度を過ごさないための自動調節装置というのがついている。
しかし、人にはそれが取り払われてしまっている。その代わり、人には大脳前頭葉というものがある。動物で大脳前頭葉を持っているのは、人以外に猿があるが、猿のは、ごく発生当時で非常に小さく言うに足りない。
ちゃんとした大脳前頭葉をもっているのは人だけで、人は自動調節装置の代りに、この大脳前頭葉を使って、いけないものはいけないと知って抑止して、やらないようにする。人にはこの大脳前頭葉の抑止力があるのです。但し、自動調節装置は自ら働くが、抑止力は働かそうとしなければ働かない。人がこの抑止力を自主的に使わなかったら、人としての品位を維持することができない。のみならず動物よりはるかに下等なものになってしまう。
これが、医学の定説であって、これが定説になったのは前世紀のこと、以来、絶えず定説なんですが、ところが、デューイはこの定説を知らない。それで、快、不快によって判断せよというようなことを言っている。そして教育はその通りにやっている。
しかし、考えてみて下さい。快、不快によって判断するというのでは、一体どこに人の人たるところがありましょうか。大脳前頭葉の抑止力もなしで、これは獣類のすること、人のすべきことでは決してありません。
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