「真我への目覚め」
【17】 畜生道の世界
ところで、こういう人に会いました。畳屋さんですが、その人に私こう言った。「あなたは自分の一家が幸福であっても、隣の家が非常に不幸だったら、心から幸せだとは思えないでしょう」と。その畳屋さん、「そんなことがあるもんですか、隣の家とは関係がない。自分の家が幸せであれば自分は幸せです」そう答えてきた。これは、言葉通りだとすると、一体どういうことになっているのだろう。
それで、人を振りかえってみるのですが、人は20億年前に、地球上に単細胞生物として現われた。それから、14億5千万年たって、今から5億5千万年前に魚類になった。そうしてはじめて、自分の肉体全部を愛することができるようになった。それから4億5千万年たった、今から1億年前、哺乳類になった。そして、自分と自分のつれ合いと自分の子供を愛することができるようになった。それから、ごく最近になって人になった。そうして初めて、動物の全部を愛することができるようになった。こういうふうに向上して来た。
哺乳類では、自分の家族までは愛するが、そのために闘いもするが、それ以上はいきません。これはわかってそうしないという、そのわかってのところがわからないのだからしかたない。しかし、人は違います。畳屋さんのいうのは哺乳類のするところで、これは人道中の畜生道です。
でも気づいてみれば、日本が力こぶを入れてやっていることは、教育にしろ、大新聞の論調にしろ、選挙の時の投票の教え方にしろ、主婦連、その他団体の力こぶの入れ方にしろ、いわば、日本国民全体を畜生道に輪廻さそうとして努力しているとしか思えない。
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