「真我への目覚め」
【22】 情と愛
日本人は、人と人との間によく心が通じ合い、人と自然との間にも、よく心が通じ合うんですが、フランス人には、この通いあう心というものがない。
この通いあう心が〝情〟である。このことは、フランスにいるうちにつかまえたことだが、帰ってきてから、英米はどうだろうと思って和英をひいてみた。情とひきますと、フィーリングとかエモーションというものしかない。これは意識の表層の波のようなもので、とても、深みのある通い合うという心の情ではない。ドイツでは、感情のことを取り扱っているのは、哲学者フィヒテですが、フィヒテの指す彼方にも情というものはない。
総じて、欧米には情という言葉がありません。日本民族は情でつながっていますが、欧米はどうかというと、集団欲という本能でつながっているのだというのです。この集団欲の特徴は、スキンシップだという。スキンシップというのは、膚と膚の触れ合い、握手、接吻、抱擁、そういったものですが、そんなもので人がつながっている。
夫婦は愛情でつながっている。しかし、小我を自分だと思っているから自他対立している。愛情というのもその間に動く感情であって、何かの時に、その愛は一瞬にして憎しみに変わる。仏教では、この感情を愛憎と言うのですが、欧米では、夫婦はこれでつながっている。「私は、あなたを愛します」と絶えず言ったり、接吻、抱擁、そんなことを繰り返してはやっとつながっている。そして、何とか言っては、さっさと別れてしまう。まるで、破れた草履のごとくお互いに捨てあう。
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