「真我への目覚め」
【26】 大和少女の恋
終戦後、5年ほどして亡くなった人に、折口信夫という人がある。彼は非常に偉い国文学者、民俗学者で、とても上手な歌詠みでしたが、この人が、
大和少女()よ、大和少女の恋をせよ
と言い残している。大和少女の恋というのは何かというと、情緒が内容である恋、ということで、感覚が内容であってはならないというのです。
実際、江戸娘なんかは、うまくいかなかった場合、恋わずらいで死んだりした。一目見ただけで情が通じ合いますから、時として、一目相見てその印象が強く焼きつく。そうなると、家に帰ってからも前頭葉は灼熱的にその人を求める。しかし、身近にその人はいない。
こうなると、情緒の中心の調和がまるで壊れてしまう。情緒の中心は全身を支配しているから、全身の調和がうまくいかなくなる。とりわけ、胃は全く狂ってしまって、全然食物を受けつけない。それでいつまでも、そういう不幸な状態、求める人が外界にいない、しかし、求める方はやめないという状態が続くと、飲みものも受けつけないから、短時間に弱っていってついに死んでしまう。江戸娘の恋わずらいの死に方です。
ところが、明治になって、物質主義が入ってきた。女性の情緒も濁って、それ以後、恋わずらいで死んだというのを聞いたことがない。薬なんか使うのは別ですが・・・
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