(※解説29)
日本人は商品を作る面でも、仕事の能率を上げる面でも、いろいろと工夫を凝らすのが上手である。それは濃やかな「情」の働きの結果であって、日本の産業の優位性はそんなところからきているのだが、間違えてはいけないことはそれは「工夫考案」であって「創造(独創)」ではないと岡はいう。
いってみれば「工夫考案」は一定の条件のもとで次第に改良を加えていくものであって、次元を飛びこえて発見する「創造」とは別のものである。だから「機械の座」である「側頭葉」でできるのである。戦後アメリカの影響を受けて「能率」や「効率」とよくいったものだが、あれも「側頭葉指数」ということである。
特に若い人にいっておきたいのだが、なにか突飛なことや一風変わったことを思いつくままに発表することが「創造」だと思われている節があるのだが、岡にいわせればそんなものは「創造」ではない。直ぐに飽きてしまうものや奇をてらっただけのものは、真の「創造」の対象には入らないからである。
真の「創造」とは長い年月をかけて人々の心の中に培われた文化の内容、つまり伝統の中にある「エキス」を抽出するものである。だから岡が芭蕉や道元に学んだように、歴史や伝統に学ばなければならないのである。しかし、気をつけなければいけないことは、それは「エキスを抽出」するのであって、「形」を真似るのではない。今はその伝統の「形」を真似ることの方に傾いているのである。
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