「真我への目覚め」
【28】 ポアンカレーの発見
フランスに、アンリー・ポアンカレーという大数学者があったが、この人の著書に、「科学と方法」というのがあって、その第1章に、「数学上の発見」というのがある。そこで、ポアンカレーは、自分の体験をいろいろ書きつらねてこう言っている。数学上の発見というのは、理性的努力を欠いてはできるものでない。しかし、理性的努力をした時と発見が行われる時との間には、大抵、相当な時間があいている。いつ起こるかわからない。又、その方向は理性が予想したのとは、主に、違った方向の解決であることが多い。つまり、方向が予知できない。意外な方向の解決である。
第3に、発見は一時にパッとわかってしまう。この3種類の特徴を備えている。一体、これは如何なる知力の働きか、不思議である、とそう言っている。これは、西洋文化の本質に触れた問題ですから、フランス心理学界が、直ちにこの著書を問題にして、当時の世界の大数学者たちに、「あなたはどういうやり方で、数学の研究をしていますか」という問い合わせの手紙を出した。
その結果、大多数の答えは、ポアンカレーが言っているのと一致したというのです。それで西洋文化の中心である問題は確立したんですが、解決に向っては、一歩も近づかない。今日、なお未解決のままです。私も、実際、数学をやりまして、何度も体験してよく知っています。数学上の発見がどういうものであるかをです。又、仏教によって、無差別智というものがあって、更に、それがどういうものかよく知っています。
それで言うわけですが、数学上の発見は、無差別智の働きによって起こるのです。学問上の発明発見、芸術上の創作、みな、大体同じ方向のものと思います。で、クリエーション、創造をよく働かすようにするには、無差別智がよく働くようにすればいい。この無差別智はどこへ働くかというと、真我です。小我というのは迷いです。
|