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2017.11.09up

岡潔講演録(28)


「真我への目覚め」

【28】 ポアンカレーの発見

 フランスに、アンリー・ポアンカレーという大数学者があったが、この人の著書に、「科学と方法」というのがあって、その第1章に、「数学上の発見」というのがある。そこで、ポアンカレーは、自分の体験をいろいろ書きつらねてこう言っている。数学上の発見というのは、理性的努力を欠いてはできるものでない。しかし、理性的努力をした時と発見が行われる時との間には、大抵、相当な時間があいている。いつ起こるかわからない。又、その方向は理性が予想したのとは、主に、違った方向の解決であることが多い。つまり、方向が予知できない。意外な方向の解決である。

 第3に、発見は一時にパッとわかってしまう。この3種類の特徴を備えている。一体、これは如何なる知力の働きか、不思議である、とそう言っている。これは、西洋文化の本質に触れた問題ですから、フランス心理学界が、直ちにこの著書を問題にして、当時の世界の大数学者たちに、「あなたはどういうやり方で、数学の研究をしていますか」という問い合わせの手紙を出した。

 その結果、大多数の答えは、ポアンカレーが言っているのと一致したというのです。それで西洋文化の中心である問題は確立したんですが、解決に向っては、一歩も近づかない。今日、なお未解決のままです。私も、実際、数学をやりまして、何度も体験してよく知っています。数学上の発見がどういうものであるかをです。又、仏教によって、無差別智というものがあって、更に、それがどういうものかよく知っています。

 それで言うわけですが、数学上の発見は、無差別智の働きによって起こるのです。学問上の発明発見、芸術上の創作、みな、大体同じ方向のものと思います。で、クリエーション、創造をよく働かすようにするには、無差別智がよく働くようにすればいい。この無差別智はどこへ働くかというと、真我です。小我というのは迷いです。

(※解説28)

 「発見」のメカニズムについてはこれまで度々触れたので、それを参考にして頂きたいのだが、ここでも岡は流石に数学者らしくポアンカレーの言葉を借りて、非常に理学的に発見の特徴を捕えている。

 それは第1に「時間的」側面からであって、発見はいつ起こるかわからない。第2には「空間的」側面からであって、解決の方向性が予知できない。つまり意外な方向の解決であること。そして第3に発見の最大の特徴である「一時にパッとわかる」という、この3つである。

 これらはポアンカレーをはじめ「意識」を重視する西洋人には、仲々わからない仏教の「無差別智」の働きだと岡はいうのである。こうした西洋の最先端の問題に、東洋の仏教が回答を与えるというのだからおもしろいではないか。

 こと「心の問題」に関しては、西洋の知識は実はあまり役には立たないのである。だからここでも岡は西洋の数学と東洋の仏教を融合して、1つの新しい結論を導きだそうとしているのである。
参照、講演録(15)の10講演録(18)の27

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