(※解説27)
「日本人の創造力というものは欧米人のものより優れている」。これを岡にいってもらうだけで、我々はどれほど勇気づけられるかわからない。これは岡の専門の数学研究の中からわかってきたことで、科学の最先端の分野でこのことがいえるのであるから、我々はもっと自信を持ってもよいのである。
しかし、いくら今日の最先端の科学者や知識人でも、この岡の発言を素直に額面どうり受けいれることはまだまだ難しいのではないだろうか。実際、自信を持ってそれがいえるのは、日本広しといえどもまだ岡潔1人ぐらいのものだからである。
また、「無心」と「没頭」の違いが出てきているのだが、私にはなにか「無心」が精神統一に、「没頭」が精神集中に当るような気がするのである。
岡はこういっている。「精神集中をつづけていると、いつしか努力感を感じない精神統一になっている」と。この精神集中の方は、もっぱら「前頭葉の意志力」を使うように私は思うのである。
その精神集中(没頭)のよい例としてはニュートンである。ニュートンは考えに耽るあまり、腕時計とタマゴをまちがえて鍋の中に入れてしまったという逸話が残っている。
しかし、「無心」とは「没頭」よりさらに純度が高く「前頭葉の意志力」は使わないから、なにか子供の世界のように全ての約束事を捨て去り、老子のいう「無為自然」に生きることができるのである。胡蘭成が岡を激賞した理由もそこにある。しかし却って岡のように、社会から変人扱いされ兼ねないのも事実である。
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