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2016.5.29up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」

【26】 頭脳のタイプ

 日本は終戦後、ひどい物質的荒廃の中から立直った。今や総生産世界第2位といわれている。これは主として何によるのかというと、その一番おもな理由は日本人の勤勉さによるものだと思う。それから日本人の器用さというのもよほど働いていると思う。これはみな頭頂葉という頭がよいからできるのであって、前頭葉という頭がよいということではない。

 頭がよいというのは、前頭葉という頭がよいことだと明治以後だんだん思われるようになっていますが、ほんとうに頭がよいというのは頭頂葉の発育がよいということです。ほんとうに頭がよいから働けば無心になれる。それで勤勉でもあれば器用さも出るのだ。そういうことを知ってもらいたいと思うのです。

 大体西洋は頭がよいといえば前頭葉がよいということ、明治以後はそういう頭のよさが頭がよいということになっている。それまでは頭頂葉がよかった。それで心眼なんかがよく働いた。明治維新までの人物といえば吉田松陰とか西郷隆盛とか坂本竜馬とか、いずれも頭頂葉の発達している人が頭がよいとされ、上に立っていた。

 ところが明治以後は伊東博文とか山縣有朋とか、または近ごろに至っては東条英機とか、こういうのは前頭葉タイプです。吉田松陰とか西郷隆盛とか坂本竜馬とかいうのが頭頂葉タイプ。
伊東博文とか山縣有朋とか、特に典型的なものは東条英機などというのが前頭葉タイプ。

 そんなふうに頭がよいというのは、前頭葉がよく働くことだとだんだん思うようになってきている。そのため勤勉であったり、器用であったりすれば頭が悪いのだ、こういうふうにいわれることになっていた。

(※解説26)

 ここでは歴史上の人物を2つの頭脳のタイプに別けている。岡にそういわれれば成程という気はするが、ここも岡の大脳生理でなければ決してそうはいえないところである。

 前頭葉は「第1の心」の感情・意欲・理性が働くところだから、その理性には当然のことながら「利己性」が混ってしまうのであって、そこに弊害が出るのだろう。岡はこの種の理性を「邪智型平等性智」といっている。

 一方、頭頂葉は「正直の頭に神宿る」といわれているところだから、ここには無私の心である「第2の心」が宿っていて、岡のいう「純粋直観」つまり「無差別智」本体が働いている。これがよく働く人を「頭頂葉タイプ」というのである。

 しかし、我々日本人は明治以後西洋の影響をうけて、この「無私の心」の存在意義が希薄になっているのではないだろうか。だから「前頭葉タイプ」に日頃得てして憧れるのである。

 そして、ここには挙がっていないが、終戦後は「側頭葉タイプ」が猛烈な勢いで広がりだしたのである。こういう人達はコンピューターが人の頭脳の理想だと思い込んでいるのであるが、戦後アメリカの影響を受けた教育が広がったせいであるから、これは仕方のないことかもしれない。

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