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2016.5.29up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」

【25】 器用さのメカニズム

 また、このソニーの厚木の工場の女工さんたちの器用さは、いかなる精密機械も及ばない。小林さんは、そういっています。日本人の勤勉さというのは、第2の心がよく働くから勤勉なんだ。つまり頭がよいから勤勉なのだ、そういうことをいったわけですが、この器用さというのはどうして出るのか。

 精密機械が及ばないというのだから、無心に働くと第2の心に住することになる。第2の心に住しますと四智が働く。その中で妙観察智というのが働く。これは部分と全体の関係です。

 だから自分というものの、つまり今自分がどの位置にいるという、そういう位置を示す自分という言葉がありますが、妙観察智が働くとその位置に身を置いて働くことができる。

 ところで、その際自分というものを幾つにも別つことができる。で、理論上第2の心の世界に住すれば、妙観察智を働かし自分を10に別つ、そうしてその各々が各指のつけ根、10人の自分が各指のつけ根におって指を働かす。そういうことができるわけです。そういうことができると華厳経-これは妙観察智のことを詳しく書いてありますが-にいっている。

 ところで、いかなる精密機械も及ばないというくらい精巧だとしますと、ほんとうに各指のつけ根に自分を置いて、そして指を働かしているんでしょう。女工さんはそうだとは意識しませんが、各指のつけ根に1人ずつ自分がいて指を働かすというような、そういう働かし方をしているんでしょう。

(※解説25)

 日本人の器用さについて、こんな指摘をしたのも岡潔1人だろう。

 日本人は妙観察智によって自分を10人に別けて、無意識的にではあるが10本の指をそれぞれ働かすことができるのである。だから「いかなる精密機械も及ばない」とは、巷でよくいわれている「物作り日本」の根拠と不思議さを余すところなく物語っているのではないだろうか。

 日本の製品やサービスの完成度が世界的にみて、どうして優れているのか。それは「人の喜びを喜びとし、悲しみを悲しみとする」という「情の民族」ということもあるが、日本人は妙観察智を使って自分を2人に別け、対象物やお客様の立場に身を置くことができるからである。

 「物作り」では素材の立場に身を置くことができるから、その素材のもつ特性を殺すのではなく、余すところなく引きだし生かすのである。日本伝統の工芸品や食品の作り方をみていると、日本人は細心の注意をはらって、素材の特性にいかにうまく従うかを考えているように見える。また一方、お客様の立場に身を置くことができるから、気のいきとどいた使いやすい、至れり尽せりの製品を仕立てあげることができるのである。この2つの条件によって、「物作り日本」が成り立っているのである。

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