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2016.5.29up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」

【24】 赤ん坊の世界

 ところで、目覚めたら第2の心の世界に住む。そうするとどんなふうになるのかということだけを見たいというのだったら、何も目覚めた人を捜さなくてもよい。日本の赤ん坊はみな第2の心の世界に住んでいる。だから、それを見ればよい。

 先ほどいいましたとおり私の4番目の孫は初めから私と同じ家に住んでいる。それで連続的に見ることができて、赤ん坊のことが大変よくわかってきている。その孫ですが、生まれて42日目に目があきました。それから生まれて3カ月ぐらいまでの間は、非常に簡単であった。一口にいえば、懐かしさと喜びの世界に住んでいたといえる。

 孫は人を見れば人懐かしく、天井を見れば天井が懐かしく、音楽を聞けば音楽が懐かしい。つまり外界は見るもの聞くものみな懐かしい。その懐かしさという基盤から、いわば地面から喜びがほとばしり出る。その喜びの世界に孫は住んでいる。

 どんなふうかといいますと、私が近づくと孫は懐かしがる。それで話しかけて-ハジメという名なんです。家の者はハメ、ハメといっているんですが、こう話しかけてやる。「ハメちゃん、おじいちゃんね、汽車ポッポー、ポッポーと行ったんよ。雨ね、コンコー、コンコーと降ったんよ」。

 そう話しかけてやると、ハジメは目を細め手足を振り動かし声をあげて喜ぶ。こんなふうに喜びが懐かしさという基盤からほとばしり出る。その喜びの世界に住んでいる。孫は幸福ということを意識を通しては意識しませんが、これが無上の幸福なんですね。無上の幸福というのは、他になにも要らないという幸福です。

(※解説24)

 岡はみずからの哲学の基礎をなすものは、赤ん坊の「心の世界」を解明することだとの考えであるが、孫の始が生まれるまではその赤ん坊の「心の世界」を、十分に観察することができなかったのである。

 始が生まれるのは1969年7月であるが、その頃の始を観察した結果、初めて発見したのが「懐かしさと喜びの世界」であって、これが人の世の根本原理だといいたいのである。

 実はこういう世界観を提唱したのは、やはり人類の中でも岡潔1人だろう。相当もののよくわかっているはずの東洋の仏教でさえ、この世は「生老病死」から逃れられない「苦の世界」だという暗いイメージを持っている。

 また、西洋思想に至っては「意志と力」の思想や「唯物主義」から生まれるニヒリズム(虚無主義)、刹那主義、享楽主義、孤立主義に陥りやすいのであるから、岡の世界観とは相当な開きがあるのである。

 岡の提唱する「日本哲学」とはこういう現実的で明るく前向きなものであって、今まで得てして誤解されてきたように「国粋主義」「民族主義」という排他的で後ろ向きなものとは全く違っているのである。

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