「創造の視座」
【24】 赤ん坊の世界
ところで、目覚めたら第2の心の世界に住む。そうするとどんなふうになるのかということだけを見たいというのだったら、何も目覚めた人を捜さなくてもよい。日本の赤ん坊はみな第2の心の世界に住んでいる。だから、それを見ればよい。
先ほどいいましたとおり私の4番目の孫は初めから私と同じ家に住んでいる。それで連続的に見ることができて、赤ん坊のことが大変よくわかってきている。その孫ですが、生まれて42日目に目があきました。それから生まれて3カ月ぐらいまでの間は、非常に簡単であった。一口にいえば、懐かしさと喜びの世界に住んでいたといえる。
孫は人を見れば人懐かしく、天井を見れば天井が懐かしく、音楽を聞けば音楽が懐かしい。つまり外界は見るもの聞くものみな懐かしい。その懐かしさという基盤から、いわば地面から喜びがほとばしり出る。その喜びの世界に孫は住んでいる。
どんなふうかといいますと、私が近づくと孫は懐かしがる。それで話しかけて-ハジメという名なんです。家の者はハメ、ハメといっているんですが、こう話しかけてやる。「ハメちゃん、おじいちゃんね、汽車ポッポー、ポッポーと行ったんよ。雨ね、コンコー、コンコーと降ったんよ」。
そう話しかけてやると、ハジメは目を細め手足を振り動かし声をあげて喜ぶ。こんなふうに喜びが懐かしさという基盤からほとばしり出る。その喜びの世界に住んでいる。孫は幸福ということを意識を通しては意識しませんが、これが無上の幸福なんですね。無上の幸福というのは、他になにも要らないという幸福です。
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