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2016.5.29up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」

【28】 前頭葉の鍛え方

 ところで、第1の心ばかりが働いたんでは第2の心は、第1の心が働いている間は働かない。それで前頭葉というのは、これは使うことによって鍛えるのですね。が、その鍛え方ですが、ちょうど日本刀を鍛えるときは熱しておいて槌でたたいて水へつけ、また熱しておいて槌でたたいて水へつける。

 つまり、かつ熱しかつ冷して鍛える。前頭葉もまたそういうふうに鍛えなければ、ずるずるべったりと鍛えたんでは、頭頂葉の働きを阻害する。そう思います。ともかく創造という働きに対しては、日本人の優秀性を信じてほしい。しかし、これは教えなければ起こらないものなんです。

 その鍛え方は、かつ熱しかつ冷して、考えて考えて毛が抜けてしまうほど考えさせなければいけない。そして全然考えん時期というものもこしらえなければいけない。うんと考えさせ、うんと休める。こういうふうに鍛えるのが創造という働きの起こるゆえんだ。創造を教えるには、そうするのがよいと思えるわけです。

(※解説28)

 岡は「人とは壁に塗り込められて生きるものではない」が持論であるが、そのことは頭の鍛え方としては「かつ熱し、かつ冷し」ということになるのだろう。

 考えて考えて前頭葉を十分に使っては、自然と心を通わせるなどして前頭葉をしっかりと休める。これを繰り返すことによって前頭葉が鍛えられ、頭頂葉がよく発育するということだろうか。

 今日の教育はその前頭葉どころか、私のよくいう記憶の量と処理速度という側頭葉の発達を目標にしているから、知識の詰め込み合戦になってしまって、前頭葉の鍛錬や頭頂葉の発育は抑えられ勝ちである。

 これではただ単に頭の回転のよいだけの側頭葉しか使わない、人としての感情意欲の働かない「昆虫人間」を作るばかりではないだろうか。

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