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2023.02.13up

岡潔講演録(29)


「岡潔先生と語る」 (1)- 東洋と西洋の融合 -

【6】 「時」について

 (男性)先生読み違いだったらお許し頂きたいのですが、仏教は「時」というものについては云っていないと、先生はおっしゃっておられますね。

 (岡)仏教、時ということを云ってませんね。真言の六大無碍(むげ)、地、水、火、風、空、識って云う。そのうちに、空と云ったら空間ですね、先ず。が、時間というものが入ってない。で、どうも時ということは正面から云ってないようです。

 (男性)ところで、金剛経だとか、あるいは道元禅師の三世心不可得の三世などは、時ということとは違うのでしょうか。

 (岡)時ということを説明しないで使ってる。無始無終とかね。時という言葉を説明しないで使ってる。時とは何かとはどこにも云ってない、と思うん。真言の六大無碍に無いんだから無いと思う。

 (男性)釈尊は五十六億七千万年というような漠然たる大きさ、それは数学的なあれじゃないですね。

 (岡)あれ、すぐ大きな数になるん。釈尊、そんなことおっしゃったんじゃないんですけどね。仏教は人は不死だって云うでしょう。まあ、妙なとこへ話がとびますが。

 仏教に時というのは説明してない。仏教だけじゃない。我々いろんなことみな説明して使ってるかって云ったら、言葉っていうのは、尋ねて行くと始めの知れんものです。始めまで説明出来る言葉何か一つでもありますか。一つも無いだろうと思う。

 で、仏教だけじゃないんですがね。しかし仏教ほかの原理をよく説明してるのに、時とか時間とかいうことは一向云わないと思う。今余計なことを云いかけましたけど、云ってもいいけど、やめて ―― 云おうかな。(笑)

 このねえ、仏教は人は不死だって云う。で、まあ、一応信じる。それは人は不死であった方がなんか嬉しい。そしたら自分は不死ですね。その方が喜ばしい気がする。不死であっても生まれ変わったらわからんて云うんだから、不死でないのと同じことだけど。まあ、ともかく仏教は不死だって云う。

 不死ならば人は生まれ変わるはず。そうすると誰の生まれ変わりが誰である、如何にもよく似てる、というふうなことが歴史上に少しぐらいありそうなもの。ところがそういう例は一つも無い。これはこう思う。まあ、説明つければ、不死だと信じた方がよろしい。出鱈目を云ってるとすぐ思ってしまうのは少し乱暴だから。そうすると、眠りが深い間は、漠然と生まれて、漠然と行為する。だから準備も何もいりゃしない。これは死ぬなりすぐ生まれるでしょう。極く僅かの期間で生まれ変わる。中有(ちゅうう)という間は七、七、四十九日ですか。あの七、七がまた気にいらんのだけど、まあ大体非常に短いと云ってる。

 だけど、何か準備するとなると、何かする為に生まれるとなると、準備しなきゃならん。で、七十年実演して見せる為には、準備にどれくらいかかるものだろうと、こういう疑問を持った。それは比例でやっちまっていい訳でしょう。ところが何か一つよりどころなきゃいかんでしょう。で、わたし、数学について考えて、自分の経験振り返ってみました。大体二年間研究して、そして話した、みんなの前で。話する時間は十五分です。そうすると二年準備して十五分実演する訳になる。そうすると七十年実演する為には準備にどれくらいかかるだろうかという比例を考えてみた。これはすぐ計算出来ます。六千三百年。で、成程なあ、それじゃ二千年や三千年の歴史みたって、似た人が生まれて来ないのは当たり前だと、そう思った。すぐこんなふうに考える。六千三百年というようなことを考えた。これを肯定と否定との間と云うんです。(笑)

 おわかりになりましたか。否定出来ない、だけどこんなん、肯定出来るはずがない。

 (男性)それで、その「時」をですね、仏教が説いていないということで・・・

 (岡)時を説いていないということで、大威張りで神道を説いたんです。神道を説こうと思ったん。

 (男性)私は多少仏教をやっているもんでですね、時を説いていないと、欠けるものがあると・・・

 (岡)すき間があるでしょう。そこへ神道を押し込もうと思った。肯定と否定の間です、これも。要は日本民族が一つに団結しなきゃいけない。日本民族が一つに団結する為には中心がなきゃいけない。その中心は伊勢神宮と万世一系の皇統です。どちら云うにしても神という言葉がいる。それでわたしは肯定と否定との間において神という言葉を説いてるんです。日本民族の滅亡を何としてでも食い止めたいと思うからです。そのため肯定と否定の間において神というものを説いてる。その神というものを説こうとすると、仏教の原理はあるところは便利で取り入れますが、あるところは邪魔になる。それですき間のあるところを捜した。時というところが完全にすいている。そこへ伊勢神宮を押し込んだ訳です。

 仏教では日本民族は団結しません。肯定と否定との間って、ズーッとみな否定してしまったら、最後に残ることは、わたしは日本民族の滅亡だけは何としてでも食い止めたいと思ってる。それ一つです。あと何も無い。あとはみな空です。だから完全に空に近い。

 空の中のものなんか肯定も否定もありゃしない。だからわたし、仏教の説く空がよくわかる。その一念以外無いからです。神を説くのはその為です。仏教は時を説いていないと云うのもその為です。

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