「岡潔先生と語る 」(3)- 西洋の真似はやめよ -
【19】 古事記
(男性)古事記に出てきます「天つ神」と「国つ神」についてですが、先生はどのようにお考えでしようか。
(岡)知りません。いろいろ神について云われてる。それが随分いろいろ間違いを云ってる。それで困ってしまって、いろいろに云ってるんです。肉体の無い第二の心だけの生物、これが神です。わたしはその本のそこでは多分天つ神と書いたでしょう。神という言葉を生かさなきゃならん。ところが実際は随分間違って使われている。こういう立場に置かれているから、それに応じていろいろ工夫してる訳です。
仏教がはいってからまだ千数百年です。それ以前からあったのは神道ですね。だから神道によらなければならないし、神道ははっきり云い表していない。特に仏教がはいってからは、仏教で云う天国の神とそれまでの神とを一緒にしてしまってる。そういうのが今の状態ですから、それで困ってる訳です。一切拭き消して、また神と云いたいんですけどね。歴史は大事だし、いたずら書きは困るしという訳です。
ともかく、古事記では神が国を産んでるでしょう。自然と人倫とを区別していない。これが真我の世界です。
須佐之男の命が大声で泣いてやめなかった。そうすると、とつか須がたちまちに生い出でて胸元までさがった。古事記にはこう書いてあります。少しも時間、空間というものに束縛されていない。あんなこと書いてるのは古事記だけです。我々夢にさえそんな情景みたことないでしょう。非常に常識的な夢しかみられない。あの頃の人は奔放自在だった。時間、空間に縛られてなかったんです。古事記はそんなふうに読むべきものです。古事記が信じられると云うのはどう云うことであるかと云うと、日本民族に古事記という書きものが残っているという事実は厳然たる事実であるということです。
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