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 2023.08.20 up

岡潔講演録(31)


岡潔先生と語る (3) ― 西洋の真似はやめよ ―

講演日 :1971年5月30日

於 奈良大安寺

 

横山 賢二

はじめに

 今まで2回にわたって、主に1971年の「岡潔先生と語る」を皆さんにお伝えしてきたのだが、今回はそのシリーズの最終回である。タイトルはズバリ「西洋の真似はやめよ」である。これが滅亡寸前の人類に向かって、岡が一番いいたいことである。

 西洋は確かに、大脳前頭葉の特徴である精密で華やかな文明である。岡自身も「非常に色彩の豊かな大輪の花を思わせるものがある。私もそれに引かれて数学をした」といっている。目に見える「物質の世界」は確かに精密で華やかであるが、一方の「心の世界」はどうであろうか。そこには大きく致命的な欠点が、潜んでいるといわざるを得ないのである。それが「自我意識」から生まれてくる「自己中心」である。

 ギリシャ神話の神々が実にあっけらかんとして、お互いに殺し合い痛みつけ合うのを見てもわかるのだが ― これが「力の思想」の原形である ― 旧約聖書の創世記に「海の魚と空の鳥と地に動くすべての生き物を支配せよ」とあるように、西洋では自然の上に人間が君臨しているのである。

 東洋や日本では、昔から「天地人」という言葉があるのだが、これを図式化すると「神、自然、人」の順になるのである。しかし西洋では先にいったように「神、人、自然」の順になっていて、自然と人間との関係が逆転しているのである。これが「自己中心」の現れであって、我々日本人にはこれがどうもシックリこないのである。

 岡はこの西洋の世界観を「第一の心」の世界観、もしくは唯識論的にいえば、「第7識」の世界観といって、心の世界では最も浅い世界観、つまり物質主義、個人主義の世界観だと定義するのである。

 そしてこの世界観を極限まで発展させると、今見るように人類には滅亡しか残されていないという結論になるのである。だからいち早くそれを察した岡は、当時の日本に向かって声を枯らして、「西洋の真似はやめよ!!」と叫んだのである。あれから50年、ここまで来たのだからもういい加減に、岡に同調する日本人も出てきてもよいのではないかと私は思うのである。

 なお、蛇足ではあるが、ここでは光明主義の弁栄聖者のご事跡が紹介されているのだが、弁栄聖者を無条件に評価するのはこの年までであって、岡の境地が急速に高まっていくに従って、この翌年の1972年には次第にその欠点、主に長年信奉してきた仏教のもつ欠点の方に目が向くようになり、あまり全面的に弁栄聖者を評価言及しなくなるのである。

目  次(下の項目をクリックしてお読み下さい)

【1】 はじめに(1)西洋の知識

【2】 はじめに(2)二つの心

【3】 はじめに(3)神仏は居る

【4】 はじめに(4)西洋の真似はやめよ

【5】 山崎弁栄上人

【6】 六道を輪廻する心

【7】 第二の心をみる(その1)

【8】 人は善意をもって生くべきもの

【9】 第二の心に生かされて

【10】 第二の心をみる(その2)

【11】 第二の心をみる(その3)

【12】 死ねばどうなる、霊と魂

【13】 数学は遊戯

【14】 善と悪

【15】 末法の世とは

【16】 西洋人は東洋人になれるか

【17】 個人主義では何もできない

【18】 第二の心、天真爛漫であれ

【19】 古事記

【20】 万世一系の皇統

【21】 知、情、意の情緒化

【22】 伊勢神宮に無心にお参りを

【23】 偶然、必然、不思議

【24】 理想の暮らし方とは

【25】 現状の認識ができない

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