「岡潔先生と語る 」(3)- 西洋の真似はやめよ -
【25】 現状の認識ができない
(岡)あなた方が一番おわかりにならんのは、現状を認識することが出来んのです。現状は実に心配であって、日本を個人にたとえるならば、いま瀕死の状態である。死んでしまいはしないだろうか、助かるだろうか、そういう状態。それがわからないから、いくら云ってもすぐ話をつまらない方へ持って行ってしもう。それが一番困る。すぐつまらない方へ話を持って行く!それは現状が認識出来んからです。それは妙観察智が働かんのですね。妙観察智が働かんことを、普通心眼が働かんと云ってるでしょう。さっき質問を受けた時は思い出しませんでしたが、妙観察智の目を心眼と云う。中国にこういう詩があります。
君不看双眸 不語似無憂()
目を見るとその人の心がわかると云うんですね。これは妙観察智の働きです。これがよく働いてこないといけない。めくらです!どうすればよく働くかと云うと、自分を忘れるとよく働く。自分を忘れることですが、無私とか無心とか云われてるんです。その状態において妙観察智はよく働くんです。道元禅師は、
聞くままにまた心なき身にしあらば おのれなりけり軒の玉水
と詠んでます。聞くままにまた心なき身にしあらばと云うんだから、現在は心なき身ではない。もしまた心なき身になったならば、おのれなりけり軒の玉水。そうすると、自分にかえったのち、軒の雨垂れが自分であったと気付くであろう。こう云ってるので、妙観察智というのは我を忘れてる時に働いて、自分がそのものになってるんですから、気付くのは我にかえってからあとです。それが心眼ですね。この目が働いてるから、人は環境の中に生きているので、でなかったら環境と自分とは何の関係もないでしょう。
(司会)本日はこれで終りにしたいと思います。どうも長時間にわたりありがとうございました。
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