「岡潔先生と語る 」(3)- 西洋の真似はやめよ -
【24】 理想の暮らし方とは
(男性)個人主義はいけない、民主主義もよくないとおっしゃいましたですね。
(岡)ええ、個人主義ですから。
(男性)そうしますと、私達が家族で暮らしたり、あるいは町や村で暮らす場合、その暮らす形態というのは・・・
(岡)家族で暮らしたり夫婦で暮らしたりということを可能ならしめてるものは、この第二の心は不一不二だということです。個人主義ではかようなことは説明出来ない。
(男性)そうしますと、具体的にはどういう生活が望ましい暮らし方でしょうか。
(岡)何よりも利己主義を排除しなきゃいけない。日本の中心に天皇を頂くというところからつくり直さなきゃいけませんね。主権在民だなどと云って勝手気ままなまねをしてる。そういう集団生活がうまく行くわけなんかないに決まってる!日本がうまく行ってれば喜び、うまく行っていなければ悲しむ、個人個人には好き嫌いの別をおかずと、そういう人を中心に頂かなきゃいけない。
(男性)日本でも昔大家族制度というものがございましたね。
(岡)有ったんでしょうかなあ。
(男性)そういうのが望ましいのでしょうか。何と申しますか、利己主義を出したり、個人主義を出したりしないで、沢山の人が同じような暮らしをすると、そういうのが望ましい訳でしょうか。
(岡)まあ、その大の字いらんでしょうね。家族制度でよいでしょう。矢張り家族制度でなきゃ。戦後こわれてますが、これはこわすべきものじゃない。七十年なら七十年経てば厭でも別れていかなきゃならんのが家族であって、そのわずかの間を仲良く暮らそうと、そういうのが家族です。
(男性)つまり、第二の心でつながっているというのが、最も望ましい暮らし方という訳ですね。
(岡)ええ、ええ。自分というものは無いのです。幸福と云うのは、幸福なのであって、自分が幸福なのではないのです。
(司会)それでは時間もぼつぼつ参りましたので、あと一、二問お受け致しまして終りにしたいと思いますので、ご質問があればして頂きたいと思います。
(岡)自我というものを無理に働かさなければ、第二の心の内容は第一の心にちゃんと表現される。意識を通してわかる。大脳前頭葉はそういう表現のための道具です。自我を働かせると、水をかきまわすと月の影が映らないように、心の姿が映らないのです。表現の場所ですね。
日本語には原則として主格が無い。これが正しい言葉です。それがそうなのであって、何も自分というものとは関係がない。そんな言葉は使わないのがよいのです、余程必要でない限り。
ともかく、自我を自分だと思うのは間違いです。やめなきゃいけない。自分というものは本来無いものだから、自分を説明するなどということもしない。白隠禅師は自分のことは他の思うに任せて放っておいたでしょう。それが正しい。
|