「岡潔先生と語る 」(3)- 西洋の真似はやめよ -
【22】 伊勢神宮に無心にお参りを
(男性)先生のお話を伺いまして、第二の心があるということがわかって来たんですけれども、それでは人間に第一の心があるのは何故でしょうか。
(岡)黒板のようなものです。鏡のようなもの。この鏡へ映すとよくわかるんです。
(男性)そうしますと、人間が生きているということの意味はどういうことになるのでしょうか。
(岡)第二の心の本質は、生きているんです。だから人の本質は、中核は第二の心であるから、人は始めから生きてる訳ですね。自然もそうです。だから生きた自然を見なきゃいけない。死んだ自然ばかり見てます!
(男性)そういう考えに立ちますとね・・・
(岡)そういう考えに東洋は立ってたんです。ところが物質的自然を見るというおかしな癖を西洋から学んでしまった。そして東洋本来の見方を百年程の間に忘れてしまってるんです。元へ戻して、それを基礎にしなきゃいけません。第二の心の基盤が出来てのちでなければ、第一の心を働かすということは有害無益です。
天皇も天皇ですが、もっと遡って、伊勢神宮を大切にしなきゃいけません。時々伊勢神宮へお参りする。そうすればどういういいことがあるかとか、何故であるかとか、そういう言挙げは一切しない。ただお参りするのがよいんです。元禄の頃の有様は
参宮といへば盗みも許しけり 春めくや人さまざまの伊勢参り
そんなふうに詠まれてる。これが正しいあり方です。こういうことが本当にわかるのは、情緒のことがいろいろわかったのちですね。始めから容易にわかるものではない。
言挙げしないのがよいのです。しかし無神論はいけない。
|