「岡潔先生と語る 」(3)- 西洋の真似はやめよ -
【21】 知、情、意の情緒化
(男性)先生のお書きになった本の中に、「情は純化する、感覚は浄化する」ということが書いてありますが、ここのところを詳しくご説明して頂けませんでしょうか。
(岡)まあ、そんなふうに書いてみたんですが。知、情、意というのはもともとギリシャ人の言葉ですね。心の働きが知情意と分かれて現われるのは、前頭葉へ映し出すと知情意と分かれて現われる。だいたい前頭葉は感情、意欲、理性の主人公だ、そう云ってますが、感情が情で、理性が知で、意欲が意でしょう。こんなふうに分かれるのは極く浅いところ。心の深いところにおいては、知情意は合わさって一つになってしまってるようです。それが情緒ですが。
それで、第一の心に映ったところからエキスを取って、情緒にしてどこかへ送って蓄える訳ですが、その時どうするのかと云いますと、一口に云えば第一の心の知識の内容から大小遠近彼此の別を取り去るんですね。彼此の別とは自他の別です。で、第一の心の意識したものから大小遠近彼此の別を取り去ったのが情緒です。そうすると、知から大小遠近彼此を取り去るとどうなるかということですが
― 知、情、意ですね。まあ、意から取り去ると一番わかり易い。それを意を霊化すると、そう云ったんですね。それから、情から取り去るとどうなるか。情は純化すると云ったんですね。それから、知から取り去るとどうなるか。知は何化するって書いてます?
(男性)ここでは情は純化する、感覚は浄化すると書いておられるんですけど。
(岡)感覚は浄化するって云ってますか。穢れが取れる。そうですね、感覚なんか大小遠近彼此の別を取るっていう言葉で云うとわかりにくいです。感覚は穢れが取れるという感じですね。知は大小遠近彼此の別が取れる、情もそうでしょうが、特に彼此の別が取れます。ともかく、大小遠近彼此の別を取るんです。第一の心が意識するところから大小遠近彼此の別を取ったものが情緒です。感覚は浄化する、意は霊化する、情は純化する、知は印象化する? 印象化するって云ってるかな。存在感が出て来るんですね。覚えてません。ともかく、前頭葉の働きしかわからんから、それで前頭葉と結びつけて云うと視野は割合よくきくんですが。大小遠近彼此の別のない境を仏教では無辺刹境と云います。それが第二の心の世界。
無辺刹境自他毫端()を隔てず 古今三世終始当念を離れず
そんなふうに云い表してます。それが第二の心の世界ですね。
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