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 2012.10.29 up

岡潔講演録(2)


「2つの心」 岡潔著

講演日:1971年4月11日

於:奈良大安寺

【1】 巻頭言

  第1の心のわかり方はことごとく意識を通す。その内容はすべて言葉で云える。それでこれを「()」という。これに反して、第2の心のわかり方は、決して意識を通さない。またその内容は、決して言葉では書けない。だからこれを「()」という。しかしながら、無が根底にあるから、有が有り得るのである。東洋人はこれをずっと知っていた。日本人も少なくとも明治までは知っていた。そしてよくわかる人は、そのことが非常によくわかったのである。何でもすべて本当に大切な部分は無である。だから日本本来のよさというのは無である。ギリシャ人や欧米人は有しか知らない。無のあることを知らない。戦後すっかりアメリカやソビエトに同調してしまって、言葉で云えないものはないと思っている。

 戦後に生まれた人達には、学校も家庭も社会も、有ばかり教えた。無を教えなかった。ところが日本というのは、一口に云えば無である。だから戦後に生まれた人には、日本というものがわからなくなってしまった。つまり、日本を知らないのである。それではもはや、日本人ではないと云ってもよい。それで世代の断層というものが出来てしまった。

 だがそれでも日本民族だから、日本人の頭頂葉を持って生まれてきている。これは健在なようである。だから、何んとなくそれでいけないものを感じはする。しかし、言葉で云えるものが大事なものだと思っている。それが根本的な間違いである。言葉で云えるものなどに、それほど大事なものはない。

 第2の心の世界を「無」と云い、第1の心の世界を「有」と云う。真、善、美はすべてその源を無の世界に発して、有の世界へ流れこんでいる。有の世界に入って後、言葉で云えるのである。

(※ 解説1)

ここに岡先生独特の「意識を通す」という表現が登場してきました。

これは医学でいっている「意識がなくなる」という意味の「意識」とは違います。医学で使う「意識」とは大体「いのち」と同義語ですが、岡がここで使っている「意識」とは心理学で使っているもので、「意識的」とか「意識に訴える」とかいう意味です。

この私から見ますと、西洋文明はこの「意識」を重視することを最大の特徴としています。例えばアメリカの映画は「スリルとサスペンス」とよくいわれますが、この2つの要素で人々の心を引きつけるため、「意識」を最大限に刺激をすることを狙っているように見えますし、テレビのコマーシャルは人々の「意識」を繰り返し刺激することによって、大量の物を販売しようとするやり方です。

しかし、日本では江戸時代に随分と経済や文化が発達しましたが、このようなやり方は「はしたない」「あさましい」として嫌う傾向にあったのではないでしょうか。このように日本人は概して「意識に訴える」ということを嫌います。日本文化が西洋人にわかりにくいのは、この「意識」のとらえ方に違いがあるからではないでしょうか。

(※ 解説2)

「日本民族」という言葉が出てきました。

皆さんは日本の歴史は2000年ぐらいか、長くても縄文の1万年くらいに思っている人があるかも知れませんが、岡の考えではスケールが大分違っていて、少なくとも30万年はあるということです。文献上でそれが岡にわかったのは、中国を代表する思想家である胡蘭成(こらんせい)と知り合ってからです。

岡にいわせれば中国人と日本人はルーツをたどればもとは同じだということですが、中国の伝説では正確な文献として次のように書かれているということです。

「天皇氏時代が12万年、地皇氏時代が9万年、人皇氏時代が7万年、中国古代の伏犠(ふっき)神農(しんのう)黄帝(こうてい)以降が1万年。」

これを全て足すと29万年となりますが、岡は既にそれ以前に、日本民族の歴史は30万年ぐらいではなかろうかと、確信を持って想像していたということです。岡の直観たるや、中国の伝説たるや、人類史の奇跡という外ありませんね。このようなことは、日本人の誰も知らないのではないかと思います。

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