(※ 解説3)
「心理学や大脳生理学」のことが出てきました。
いってみれば西洋の心理学は第1の心の自我意識の研究であって、心理学でこれを越えることができた人は集合無意識を説いたユング1人といえそうです。フロイトも無意識を説きましたが、その無意識は第1の心(自我)の無意識であって、自我を越えたものではないと思います。
大脳生理学でも同じことで、大脳の研究はもともと西洋から始まったものですが、第1の心の自我意識の働きを大脳の機能に当てはめたものに過ぎません。だから機械の座である側頭葉と自我意識の座である前頭葉(この2つは大脳の前半分にあります)はある程度調べられているように感じますが、岡のいう第2の心の存在は全く知りませんから、大脳の機能をそのような角度から見る目を持ち合わせていないのです。
岡にいわせれば第2の心は大脳の後ろ半分、頭頂葉と後頭葉にあるとのことですが、この時点では岡にも弁栄上人のいうように頭頂葉のことしか明確にはわかっていません。後頭葉のことが明確にわかりはじめるには、その後2,3年を要しました。
(※ 解説4)
「仏教」について。東洋思想の中でも「心」というものを正面にすえて研究したものは、仏教以外にはまず見当たりません。儒教は主に道徳を説いたものですし、老子は自然学を説き、バイブルはキリストの伝記としての性格が強いものです。仏教の唯識論のように心の構造を理学的に説いたのは仏教だけではないでしょうか。
ただ、岡が採用するのは仏教の中でも、山﨑弁栄上人の説いた光明主義です。上人は明治から大正にかけての人ですので、西洋の自然科学を十分に吟味したのちに仏教理論を体系化すると共に、人の直観に4種類あることに着目し研究した人です。今、西洋心理学の方面でも直観が重要なテーマとなってきていますが、その直観に4種類あるとまでいっている人はまず見かけません。弁栄上人はその4つの直観を精密に調べ、人間活動を全般にわたって説明しているのです。
(※ 解説5)
「時間空間」という問題が出てきました。
西洋でこの世界を扱っているのは、我々の日常の時間空間を説いたニュートンから、宇宙空間における時間空間を説いたアインシュタインまでといってよいと思います。
最近「神の粒子」といわれる「ヒッグス粒子」が発見され、素粒子論に一応の決着がついたようにいわれてますが、これはあくまでも目に見える物質の世界(第1の心の世界)を説明するための決着と捕らえるべきではないでしょうか。
テレビである科学者が「ヒッグス粒子が発見されて、これからは暗黒物質の解明に科学の目が向けられるだろう」といっていましたから、ここに至って初めて科学が物質の世界を突破して、第2の心の世界の入口に到達したといえるのではないでしょうか。
仏教の唯識論でいう第8識(アラヤ識)は写真でいうとネガフィルムの世界ですから、ここに暗黒物質があると見るのが至当です。科学者達はやっと第2の心の世界を問題にしはじめたと私の目には映るのです。
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