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 2012.10.21 up

岡潔講演録(2)


「2つの心」

【5】 水の中の石

 ところが、日本は終戦後、特にアメリカの真似をして、そのために深い心というもののあることを全く忘れてしまっている。それで、みる人がみれば非常に憂うべき日本の現状が出てきている。特に教育の面においてそれがはなはだしい。心がよく働いていない。大学生なんかに心がよく働いていないということは、作文を書かせてみればすぐにわかる。人の中心は心ですが、教育もまたこの心がよく働くように育てなければいけない。しかし、アメリカ人はそれを知らないから、アメリカの真似をした教育はそれをやっていない。そのため、今みるような大学生が出来てるんです。

 浅い心を第1の心、深い心を第2の心ということにしますと、一切のものは、きれいな小川のせせらぎに石がつかっている、それに陽が当っている、そうします。そうすると、水の中の石は非常にきれいに見える。ところが、取り出して乾かしてみると、極つまらない石です。人生のこと一切は、この小川のせせらぎにつかっている石のようなものです。その石が第1の心の内容、その小川のせせらぎが第2の心の働き。そんなふうなんです。そういうものだということを今の日本人は全く知らない。だいたいそんなふうです。

(※ 解説8)

「アメリカの真似」という言葉が出てきました。

心の構造からいうと、西洋は概して大脳前頭葉を使う第1の心(自我)の文明圏ですが、アメリカはその中でも欧州に比べて一段浅い文明なのです。科学精神の基本である大脳前頭葉よりも、記憶の量と処理速度という能率や効率を求める大脳側頭葉を重視する文明だからです。

一方、日本は東洋の第2の心の文明圏ですが、西洋の得意とする前頭葉の発達はまだ大分遅れていて、そのコンプレックスのために西洋の表面的な真似に終始して、日本本来の第2の心を忘れ去ってきた訳ですが、20世紀の歴史が示すように、前頭葉の第1の心だけではいずれ文明は行き詰まります。人と人、人と自然とが対立した世界観の中で、いくら精密に頭を働かせても問題が解決するどころか、益々問題が複雑化するばかりですから。

だから本来、第2の心の世界観を持つ日本人が、下手は下手なりに大脳前頭葉を使って、新しい世界観(政治、経済、学問、芸術)を創造していかなければならない時点に今はきているのです。

(※ 解説9)

「水の中の石」。我々の日本文明というものは、ここで岡がいうように、きれいなせせらぎにつかっている美しい石である。明治以後はこの石を水の中から取り出してカサカサに乾燥させ、戦後はアメリカによってその石の表面に泥まで塗られて今日に及んだ訳です。岡は終生、その泥で塗りかためられた石を「本当は美しいんだ、美しいんだ!」と訴えつづけてきたのです。

どうか皆さん、この泥まみれの石をもう一度本来のきれいなせせらぎに戻し、その本当の美しさを再発見する一大事業に、是非参画して頂くことを心より願ってやみません。

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