okakiyoshi-800i.jpeg
ohono-011s.jpeg
 2012.10.21 up

岡潔講演録(2)


「2つの心」

【4】 生命現象

 ところで、西洋は五感でわからないものは無いという仮定のもとにいろいろ調べてきたんですが、生命現象についてはついに少しもわからなかった。

 人は生きている。だからいろんな生命現象がある。例えば、見ようと思えば見える。何故であるか。これに対して、医学は一言も答えられない。また、立とうと思えば立てる。この時全身四百いくつの筋肉が同時に統一的に働くから立てるのであるが、何故そういうことが出来るのか。これに対しても、医学は一言も答えることが出来ない。かように生命現象については全然わからないんですね。物質現象については、不安定な素粒子の存在という点において、非常な破綻を示しているし、生命現象については全くわからない。これが西洋の学問の現状なんです。

 心には時間も空間もないから、勿論五感ではわからない。心というものの存在を西洋人は知らないんですね。認めようとしないんじゃない、知らないんです。ところで、人が一個の人として、知・情・意が別々に、ばらばらになってしまわないで、一個の統一を保っているのは心の働きです。また、本当にわかるというのも心の働きです。心理学や大脳生理学が対象としている自我中心の浅い心がいろいろな働きを持つのは、その奥にもっと深い心が働いているからいろんな知情意という働きが出てくるので、浅い心だけではそういう働きがないんです。

(※ 解説7)

「西洋は生命現象についてはついに少しもわからなかった」と岡はいっていますが、最近は「生命科学」とか「生命工学」とかいう言葉がよく使われます。

岡のいう「生命」という言葉とどこが違うのでしょうか。それは西洋では、生かされている物質である「肉体」のことを「生命」と呼んでいるのであり、東洋では肉体を生かしている実体(第2の心)を「生命」と呼んでいる違いによると思います。だから肉体をゲノムのレベルまで細分化して精密に調べた学問を「生命科学」「生命工学」と呼んでいますが、実際は「肉体科学」「肉体工学」と呼んだ方が当っています。

一方、東洋哲学である仏教は、なぜ見えるか、なぜ体が動くかだけではなく、なぜ人は観念できるか、なぜ認識できるか、なぜ理性できるか、なぜ感覚できるかを、無差別智(むさべつち)(宇宙に遍満する4種類の直観)を調べることによって美事に説明しているのです。その4種類の直観とは、知的直観(観念)の大円鏡智(だいえんきょうち)、情的直観(認識)の妙観察智(みょうかんざっち)、意的直観(理性)の平等性智(びょうどうしょうち)、感覚的直観の成所作智(じょうしょさち)となります。これらの直観は我々人間だけでなく、動植物の全てにも働いていますが、西洋はこういう世界のあることを全く知らないのです。

BackNext


岡潔講演録(2)2つの心 topへ


岡潔講演録 topへ