「人とは何かの発見」 岡潔著
【 4】 人間活動の真実(道元)
私、手を挙げようと思う。そうすると手が挙げられる。だけど、これ自分で挙げたんでしょうか? 立とうと思う、そうすると立てる。しかし、この時全身四百いくらの筋肉が、同時に統一的に働いたから、立てたんです。これ自分がやったんでしょうか?あるいは造化にやってもらったんでしょうか? ここに至って、どっちとも云える。だけどこの辺は、造化にやってもらったと云う方が実感が出るんじゃないかな?
だから人は自分をもっと良く振り返って見る可き。手を挙げようと思う、この意欲は自分がしているんだけど、そうすると、うまく手が挙がる。そうすると子供は喜こびます。大人になると段々喜こばなくなる。これは喜こぶ方、いつまでも、手を挙げようと思ったら、手が挙がったら、喜こんでた方が人生は豊かなんだと思いますが、とも角、当たり前だと思うようになって喜こばなくなります。
とも角、最初手を挙げようと意欲する。これは自分です。それから手が上ったら、子供なら大喜こびに喜こぶ。これも自分です。大人ならもういちいち喜こばなくなる。これも自分です。が、その中間は? 一体、人のどんな力が、全身四百くらいの筋肉を操って、とっさに統一的に操つって立つなどと云う事が出来るのです? 造化がやっているんです。
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