「人とは何かの発見」 岡潔著
【 6】 医学的発想の限界
ところでこの心を包む更に大きな心がある。銘々の心の働らきを統一的に働らかして主宰している心がある。そう思う。そう云う心がなければリンパ細胞の働らきはとても説明がつかない。神経で中心部の中央の意向を伝えると云う様な方法は成り立たんのです。
だから五感で分らないものを通して直に主宰者の命令を伝えるんですね。そんな風になって生きているんです。身体を生かしてる心、五感で分らない心と云うものが生かしているんだと云う事は、リンパ細胞を見れば明らかです。そうでなくったって、五感で見えるものだけではとても此の肉体は生かしきれません。
が、この心、これは人の心だろうか? とても人の心だとは思えない。そうすると造化は、人の身体を向上させて人にし、各個体に付いては又、その個体を作り、そうして出来た身体と云うものを、絶えず生かし続けている。そしてその生き続けている身体を人は使う事が出来る。
使う事は出来ますが、その使い方は、手を挙げようと思えば手は挙がりますが、人のしているのは、手を挙げようと思うこと、意欲する事と、挙げたいと思うように挙がった時に喜こぶことと、この二つだけしか出来ない。後は造化がやってくれているのだ。こう云う事になります。
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