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 2013.03.12 up

岡潔講演録(5)


「人とは何かの発見」 岡潔著

【 7】 創造のメカニズム

 行為だけに付いて云いましたが、内面的なものについても同じ事です。例えば私本を書いている。本を書こうと思って原稿を書きます。その時、大体こんな事を書こうと思って書き始める。そうすると文章になって現われる。それを良く読んでみて、そしてその時始めて、自分は、こう云う事を書いたのかと分る。

 俳優の台詞のように、始めから用意していって、その通り人の話しを、台詞を用意して行ってするのではなく、人が本を書くのは書く前から分っているのではなく、書いて了ってから読み合わしてみて分る。

 で、これも何処まで自分がしているのか、何処までして貰っているのか、どこからしているのかはっきり区別はつかない。はっきり自分がしているんだと云えることは、この、一旦、文章になったのを読み直してみる、この時は意識を通して読みます。

 そしてこれで良いんだと思ったり、ここは直さなければいけないと思ったりする。その辺まで来ればもうはっきり自分がしてるんですが、何もないものが文章に現われていくところは、一体どこまで自分がしているのか、どこまでを造化がして呉れているのか丸で境目がない。人と云うものはこう云うものなんです。

(※ 解説9)

 如何でしょうか。これが世界的発見をくり返した数学者の内面から見た創造のメカニズムです。

 岡の数学以外での創造、つまり文章を書いたり人に話をしたりする時は、先ず「発端の情緒」を用意するだけだという。そうするとその情緒がおもむろに流れはじめる。岡はその情緒の流れが途中で切れないように見つめつづけていくと、最後には自ずと一つの形ある総合像が生まれるのだという。

 岡の京都産業大学での講義の録音の中にもあるのですが、話の途中でじゃまが入り話が途切れ、話を忘れてしまうことがある。そうすると岡は話を出発点に戻し、手間暇かけて同じ話をくり返し、話が途切れた所まで持ってきたのを確かめたのち、再び話を先に進めていくというやり方をしているのです。

 「発見や創造は自分がするのではない、させられるのだ」という岡の考え方がここに如実に現れている。

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