(※ 解説4)
ここでは私が説明するよりも、岡先生自身が「情緒」についてわかりやすく説いてくれている別の箇所がありますので、それを引用いたします。
それは昨年復刻されました岡潔著「日本民族の危機」の中の「真我への目覚め」49頁に出ているものです。私は先程、「感情と情緒」の対比で説明しましたが、岡先生はここで「感覚と情緒」の対比で説明しています。意味は大体同じになると思います。
「情緒と感覚とどう違うかというと、今の印象でもわかるでしょう。もっと、はっきり言うと、例えば、フランスは緯度が高いですから夏が愉快である。それで夏は愉快だが、冬は陰惨だという。これは好き嫌いと同じで、夏は好きだが冬は嫌いだというのです。晴れた日は好きだが、雨の日は嫌いだ。こんなふうになる。
日本人はそうではない。日本人は情緒の世界に住んでいるから、四季それぞれ良い。晴れた日、曇った日、雨の日、風の日、みなとりどりに趣きがあって良い。こんなふうで全て良いとする。
もっと違っているのは、感覚ですと、はじめは素晴らしい景色だと思っても、2度目はそれ程だとも思わず、三度目は何とも思わない。こうなっていく。感覚は刺激であって、刺激は同じ効果を得るためには、だんだん強くしていかなければならなくなります。」
こういう風に岡はいっている。この「刺激を追い求める」ということが、まさしく我々の日常生活のみならず現代文明の危険極りないところでして、次から次へと刺激を追い求めることを「進歩」だと称して、文明の目標としているところにその危うさがあります。だから仏教や東洋思想は既にそこを見抜いて、第1の心の世界を「幻の世界」だといっているのです。
西洋は岡がいうように基本的にはその第1の心の世界ですから、そのことに仲々気づかないのですが、第2の心の世界に無自覚的に住んできた日本人が先ずこの危険性に気づき、「情緒」の重要性を世界に訴えることが何よりも求められているのです。そういう意味では、日本の「情緒」は今の文明を救うキーワードといっても良いのです。
Back
Next
岡潔講演録(3)一滴の涙 topへ
岡潔講演録 topへ
|