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 2012.10.21 up

岡潔講演録(1)


【7】 情の哲学を広めるには

 道徳がうまく行かないのは、情を重んじないからです。情のみがこれが道徳か、これが不道徳かを見分けることができる。これは教えなくても分っている。だから道徳というものが有り得るんです。

 ところで、日本人は情の人ですが、今だって意識してはいませんが、情の人の如く行為しているんだけども、その自覚がないから知や意の働かしようがない。だからそれから後、さっぱり進展がない。だから情の人であるというのが正しいのである。それが大事である、という自覚をしてもらうことが非常に大事なんです。

 その為には一人一人が自分がそうなって隣の人に話し、成程そうだとうなずかして行くのが早いんだけど、そのきっかけが仲々つかめないらしい。で、同じことを繰り返し繰り返しいう外ないだろうと思う。同じ一つのことについてだから、同じ話になってしまうんですが、それを繰り返すのはその効果がないからです。一人になった時、やっぱりそう思っているということもなければ、新たな人にその話をするということもしないから、ひとつも進展がないんですね。

 一通りその自覚が行き渡ってからでなくては、教育一つも変えられはしません。今のままの情を粗末にする教育では、赤軍派の学生のようなものがみすみす出るということが分っていても、変えられない。どう変えればいいかは簡単だけど、大勢の同意がいるんですね。それには一人一人に自覚してもらうより仕方がない。で、根気よく繰り返し繰り返しいっている訳なんです。

 一つは情がエゴイズムで非常に濁っている。もう一つは、生気が充分生き生きしていないんです。情というものだけど、生きるとういうことは情が生き生きすることだと思う。

(※ 解説18)

 岡がうまいことを言っている。「わかる」ということに2種類ある。意識的にわかると無意識的にわかると。この2つのわかり方が合致した時に初めて、人は本当にわかった、つまり腑に落ちたといえるのである。その典型的な例が「日本人は情の人だ」ということが意識的にも無意識的にもわかることである。

 日本歴史を昔から見てみると、他国には先ずあり得ない自己犠牲の実例が山をなしている。これが情が無意識的に日本人にわかっている何よりの証拠ではないか。日本人に最後に残されているのは、それを意識的にわかることだけである。だから岡は言ったのである、「今は日本民族の自覚時代だ!」と。

(※ 解説19)

 自覚することと物事を広めることと、どちらが大切であろう。それは断然自覚することである。本当にわかって自覚すれば、放っておいても広めたくなるものである。私のささやかな経験からも、本当にわかれば意欲と情熱は尽きるものではない。岡と出会って40年、1日の如しである。

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