【7】 情の哲学を広めるには
道徳がうまく行かないのは、情を重んじないからです。情のみがこれが道徳か、これが不道徳かを見分けることができる。これは教えなくてもわかっている。だから道徳というものが有り得るんです。
ところで、日本人は情の人ですが、今だって意識してはいませんが、情の人の如く行為しているんだけども、その自覚がないから知や意の働かしようがない。だからそれから後、さっぱり進展がない。だから情の人であるというのが正しいのである。それが大事である、という自覚をしてもらうことが非常に大事なんです。
その為には一人一人が自分がそうなって隣の人に話し、成程そうだとうなずかして行くのが早いんだけど、そのきっかけが仲々つかめないらしい。で、同じことを繰り返し繰り返しいう外ないだろうと思う。同じ一つのことについてだから、同じ話になってしまうんですが、それを繰り返すのはその効果がないからです。一人になった時、やっぱりそう思っているということもなければ、新たな人にその話をするということもしないから、ひとつも進展がないんですね。
一通りその自覚が行き渡ってからでなくては、教育一つも変えられはしません。今のままの情を粗末にする教育では、赤軍派の学生のようなものがみすみす出るということがわかっていても、変えられない。どう変えればいいかは簡単だけど、大勢の同意がいるんですね。それには一人一人に自覚してもらうより仕方がない。で、根気よく繰り返し繰り返しいっている訳なんです。
一つは情がエゴイズムで非常に濁っている。もう一つは、生気が充分生き生きしていないんです。情というものだけど、生きるとういうことは情が生き生きすることだと思う。
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