【10】 世界を救う道
何しろ難しい問題です。松とか竹とかがわかるのは知だといって放ってあるでしょう。これが世界の人の目です。はなはだここは見にくい。よく見てみると情がわかるからです。松の趣というものが情でわかるから、それで松とか竹とかが教えられるんですね。
情が働かなかったら教えようがない。盲に自然を教えようとするようなもの。知の地図の上に描くのが意志であり、情あるが故に言葉も有り得る、そして形式も有り得る。それが知。根本は情だということを充分自覚してもらわなければいけない。
人本然の情に従うのが道徳である、といった人が一人もいないというくらい人類は馬鹿なんです。それで世界がうまく治まる訳がない。だけど一人もいませんよ。
儒教なんか見てみますと、仁が基だといっているのに、その仁が情だとはいっていないんだから、余程わからないのですね。仏教の修行を見てご覧なさい。意志で修行しようとする。それで多くは難行、苦行です。大抵そうです。
情が本体であるということを知って、まっ先に教育を変えなければいけない。学校教育もですが、家庭教育を変えなければいけない。赤ん坊の時は情の中に住んでいますが、生まれて3ヶ月は「懐しさと喜びの世界」ですが、これがずっと続けば良い。成年ぐらいまで続けば良い。
成年ぐらいまでずっと「懐しさと喜びの世界」に住むようにするのが家庭教育です。そして、これさえできていれば、あとの教育は簡単なものです。こんなこと直ぐできる。気付かないのですね。だから、みんな知っていただきたい。
みんながそうなる為には、一人一人が先ずわかってもらいたい。わかる為には自分の情の目で見ることですが、いちいち見て成程とわかったら、まだわかってない人にいう。そのやり方なら初めは極く少しの人ですが、直ぐ広がる。そうしてもらいたいと思う。
世界を救う道は日本人ほどやり易くはないだろうけど、結局は情が人であると教えることです。ヒューマニティーが道徳に一番近い。それだのにカントは「実践理性批判」、理性というようなものが道徳に近いという。見当違いです。
赤ん坊は理性など働かしはしません。こころの世界に住んでいる。むしろ、あんなものを働かさないから、こころの世界に住んでいる。真情の命じるままですね。それが道徳であり、それが幸福なんです。
|