(※解説13)
ここで岡は深層の「第2の心」の上に「自我」が形成されていく課程を描写しているのだが、実際に西洋の教育学はこの辺をどう見ているのだろうかと思って、シュタイナー教育を調べてみて全く驚いた。西洋の中で最も深い人間観に基づくと思われるシュタイナー教育でさえ、「心の成長」の捕え方が時間的に見て岡とは全く違っていたのである。
シュタイナー教育の人間観では、まず肉体(物質)が生まれて7才までにエーテル体(これを一応「生命」と呼んでいる)が自律し、14才までにアストラル体(感情と印象の主体)が自律し、21才になってはじめて「自我」が自律するとなっている。
これを見ても一見して、岡とは「心を見る眼」の深さと精密さに格段の違いがあることがおわかりになると思う。特にシュタイナーには3才までの「童心の季節」どころか、7才までの「心の描写」はほとんどないといっても良い。
この岡の人間観とシュタイナーの人間観との摺り合わせは難しいのだが、岡は3才までの「童心の季節」の中のそれぞれの課程を踏んでのち、3才~6、7才で「自我」が完成されると見ているのに対して、シュタイナーは多分7才のエーテル体(生命)のところで「自我」が芽生えはじめ、21才で「自我」が完成すると見ているのではないだろうか。
そうするとシュタイナーの人間観には、岡が主張するような3才までの「童心の季節」などは存在せず、生まれてから7年間は「自我の自律」からは程遠い「ただ肉体が生きているだけの未熟な状態」だと思っているのではないだろうか。エーテル体の「生命」とは多分こういう意味であって、西洋で使う「生命」とはただ単に「肉体」を指すのではないだろうか。
西洋は「自我の世界観」から外に出られないから、「自我の発展」のみが人間観の理想なのである。しかし、東洋や日本は少なくとも「自我」を超越して、「第2の心」を実現するところにその理想があるのであって、「自我の発展」だけでは人類の滅亡は防ぎようがないのである。
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