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2014.04.16up

岡潔講演録(10)


「民族の危機」

【16】「悟り識」欠けば野獣 (月ロケットは低い知力)

昭和44年(1969)1月 - 2月

大阪新聞

 さて、日本と云う舞台に目下上演中の大学生劇をよく見よう。せっかくこれだけ大きな犠牲を払って、どんな風に教育すれば、大学まで行けば、どのような結果になるかがわかったのであるから、私達はこの事実をじかに科学して、真の教育原理を学び取らねばならぬ。

 これは非常に大切なことだからその前に欧米人に対する劣等感を一掃して置こう。汪兆銘(おうちょうめい)の片腕で、その政府が瓦解(がかい)したとき日本に亡命して、それ以来ずっと日本にいる、胡蘭成(こらんせい)さんと云う中国人がいる。近頃「建国新書」(中日新聞東京本社発行)と云う本を書いた。そこでこう云っている。

 人の知の領域には3つの層がある。顕在識、潜在識、悟り識がそれである。今日学校で教えているのは顕在識ばかりである。潜在識と云うのは、たとえば「とうもろこし」は台風を予知する。その日の午後には台風が襲ってくると云う日には、身を折り曲げて丈を低くし葉は皆巻いて待機の姿勢にある。こう云う不思議な知力が人にも色々ある。これが潜在識である。

 悟り識と云うのは人の人たるゆえんの知力である。欧米人はこれが開けていない。たとえばソビエットのチェコに対する仕打ちを見るに、力の強い国が偉くて、偉い国は何をしてもよいと思っていること、かくしようもない。

 これではまるで野獣の集団であって、人の人たるゆえんはどこにもない。月や金星へロケットを打ち込ませると仲々巧いのに、こう云うことになると自明なことがわからない。

 これは人はどうあるべきかは悟り識が闇を照らしているからわかるのであって、ロケットはもっと低い知力である潜在識や顕在識で十分作れるのであって、これ等は質の違った知力であることを示しているのである。

(※解説16)

 ここでは東洋でよくいわれる顕在識、潜在識、悟り識の「心の構造」における位置づけをしておこう。岡のいう「第1の心」と「第2の心」でいうと、顕在識が「第1の心」であり、潜在識と悟り識が「第2の心」に当る。また、私の三角形の「心の構造図」(下図)でいうと、顕在識が第7識(自我)、潜在識が第8識(アラヤ識)、悟り識が第9識(アンマラ識 または真如)ということになる。

 そもそもこの発言は、岡が第10識(真情の世界)を発見する1972年以前のことであり、第9識の東洋と第10識の日本との区別は岡にもまだ十分ついてないのである。

 さて、西洋の科学技術文明は20世紀になって100年の間に凄まじく発達したのであるが、これは顕在識、つまり第7識を横へ這っていっただけで、人類としては少しも進歩していないのである。それどころか横へ這えば這うだけ(西洋はこれを「進歩」といっているが)、人類の自滅の危険性が急速に高まってきたのである。

 科学技術は100年で開けるが、西洋人が「力の思想」と「物質主義」を卒業するには少なくても10万年はかかるだろうと岡はいっている。だから今後は、今までのように西洋人に人類の梶取りを任せる訳にはいかないのである。

 

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