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2014.04.16up

岡潔講演録(10)


「民族の危機」

【17】 神代から「悟り識」 (開けていた日本民族)

昭和44年(1969)1月 - 2月

大阪新聞

胡蘭成(こらんせい)氏は語を継いで言う。日本民族は神代(かみよ)の昔から、漢民族は黄帝(こうてい)の昔から悟り識が開けている。

 他に悟り識が開けていた民族としては、昔印度に住んだ人達がそうであったが、国が亡びてしまった。またかってのメソポタミア民族、かってのエジプト民族もそうであったが、この人達の国には後に奴隷制度が出来たために、自ら汚れて亡んでしまった。

 これ等の民族は皆同一民族の支族である。親近感が非常に深い。私も日本民族と漢民族とは、今から4万年位前に2つに分かれたのだと思う。それで胡蘭成氏に中華の伝説によって、漢民族の起源をしらべて貰ったら、今から30万年前となったのである。

 それで私は古事記の始まりは30万年前だと言っているのであって、これは人類の持つ唯一の文献によってのことなのである。

胡蘭成(こらんせい)さんは日本の万世一系の皇統と中国の湯武革命(とうぶかくめい)とは万邦無比(ばんぽうむひ)の政態だと言っている。湯とは(いん)成湯王(せいとうおう)が夏王朝に代わったことを言い、武とは周の武王が(いん)(商)王朝に代わったことを指すのだが、ただそれらだけを言うのではなく一般に丁度よい時に革命があることを指しているのである。私はそういう見方もあるのかなあと思った。

 全く感心するのは、胡さんが筑波山の麓で日本の青年たちを集めて教えているのだが、天照大御神の御神体である御鏡を拝ませていることである。

 日本民族は神代の昔から悟り識が開けていたと言っていることといい、日本人でさえごく少数の他はわかっていないことを、異邦人である胡さんがこんなにずばりと言い切るとは。

 胡さんは更によく神道を知ろうとして、各地の神宮神社に参拝している。日本はここまで行き詰まったら、維新(中国ならば革命)がいると言っている。

(※解説17)

 岡によると日本をはじめとする東洋の民族は、古代から悟り識(第9識)が開けていたということだが、それならば「我々は全て昔へ戻れば良いのか」という話になって、「人類の進歩」に逆行するのではないかという疑問が生じる。それをどう理解すれば良いのだろうか。

 それは西洋型(第1の心)の進歩と東洋型(第2の心)の進歩とでは、まるでその時間的スケールが違うからである。西洋型は主に目に見える「物質の世界」の進歩であって、50年や100年で達成されるが、直ぐに時代は行き詰まってしまうのである。一方、東洋型の場合は「心の世界」の進歩であって、少なくとも30万年のサイクルを描くのであるが、これは「人類の進歩」の速度に合致するように思うのである。

 それで岡の第10識(真情の世界)発見以後の時間軸で見てみると、正確にはこういうことになるのである。日本の「心の世界」は30万年かけて8識、9識、10識と階段を登ってきたのである。そこへ有史以来、大陸から8識、9識の文字で現わされる東洋の「有形文化」が流入し、明治以後は西洋の第7識の「物質文明」が流入し、そして現在に至っている訳である。

 だから我々、現在の日本人が「昔に帰る」という意味は、人類の「心の世界」では最も進んでいる有史以前の第10識(真情の世界)に戻るということであって、何も野蛮で未開な「原始時代」に戻るということではないのである。

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