「自然科学は間違っている」(1) 岡潔著
【 6】 唯識論の人間観
それで今度は方向を変えて、仏教に聞いてみましょう。
仏教に聞く聞き方ですが、これから聞きますが、この聞き方をお聞きになったら、人が如何に無知であるかわかるでしょう。仏教にこう聞く外ないのです、何が一体どうなってるのですかと。他に何ともしょうない。そうしますと仏教はこう答えます。
仏教は人の心を層に分かって説明する習慣があります。一つ一つの層のことを識といいます。知識の識です。で、心の一番奥底を第9識といいます。
で、一番初めに第9識というものがある。仏教に聞いてますが、第9識は一面唯一つであり、他面一人一人個々別々である。この一人一人個々別々であるという方面から見た第9識を個といいます。個人の個です。
第9識にはこの関係があるだけで、他に何もない。時間も空間も自他の別もない。それが「もの」の始まりです。そういう。
以下、その各々の個について言って行きます。第9識に依存して第8識がある。ここには一切の「時」がある。しかし、他には何ものもない。
第8識に依存して第7識がある。ここに致って初めて大小遠近彼此の別が出る。彼此の別の彼此とは「かれこれ」と書く。彼此の別というのは自他の別のことです。
この第9識、第8識、第7識の現れが自然であり、人々であり、その一人が自分であると、こういうんです。
今、言いましたことのうちで、第8識と第7識との分類法は私、少うし変えました。これは変えた方があとで都合がいいからです。しかし、これは単に分類を変えたんです。つまり言葉だけの問題です。言葉が違っているというだけです。あとは仏教は皆こういってるんです。その点を別にすれば、仏教は皆、今いったようにいっています。今いったことに反対する宗派はあるまいと思う。
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