「自然科学は間違っている」(2)
【7】 科学の方向性
「新潮」 昭和40年(1965)10月
しかし、人は自然を科学するやり方を覚えたのだから、その方法によって初めに人の心というものをもっと科学しなければいけなかった。それはおもしろいことだろうと思います。人類がこのまま滅びないですんだら、随分弊害が出ましたが、自然科学によって観察し推理するということは、少し知りましたね。それを人の心に使って、そこから始めるべきで、自然に対してももっと建設のほうに目を向けるべきだと思います。
幸い滅びずにすんだらのことですが、滅びたら、また20億年繰り返してからそれをやればよいでしょう。現在の人類進化の状態では、ここで滅びずに、この線を越えよと注文するのは無理ではないかと思いますが。しかし自然の進化を見てみますと、やり損ないやり損なっているうちに、何か能力が得られて、そこを超えるというやり方です。まだ何度も何度もやり損なわないとこれが越えられないのなら、そうするのもよいだろうと思います。
しかしもしそんなふうなものだとすると、人が進化論だなどといって考えているものは、ほんの小さなもので、大自然は、もう一まわりスケールが大きいものかもしれませんね。私のそういう空想を打ち消す力はいまの世界では見当たりません。ともかく人類時代というものが始まれば、その時は腰をすえて、人間とはなにか、自分とはなにか、人の心の一番根柢(こんてい)はこれである、だからというところから考え直していくことです。そしてそれはおもしろいことだろうなと思います。
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