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2013.11.30up

岡潔講演録(9)


「自然科学は間違っている」(3)

【3】 仏教と自然科学

 日本は明治の始めまで、1300年仏教を勉強しました。その仏教について仏教を修行という面から見ますと、釈尊はどう言っているかと云うと「五感を全部閉じてしまって修行せよ。五感にだまされるな」そう言っているのです。つまり五感でわかるようなものに、仏教の修行の対象となるような大切なものは何も無いと云ってるんです。

 大体、これと自然科学者の暗暗裏の仮定とは、非常に違っているというぐらいは日本人は何時か一度自分で考えてみるべきだったんだけど、頭をひとつも使わない習慣です。これ程違っているのに......。全然180度違う。合わない。話し合いの場所がないんだ、これではね。

(※解説4)

 仏教の修行の対象となるものは「心」と「直観(無差別智)」の世界ですが、この2つはいずれも「五感」でも「意識」でもわからないものです。自然科学は物質主義から出発しているものですから、そういう世界のあることを全く知らないし、価値も認めないのでしょう。それでは生命現象ばかりか、物質現象も本当には説明できるはずはないのだ、と岡はいうのです。

(※解説5)

 日本人は「頭をひとつも使わない習慣です」とは誠に手厳しい発言です。しかし、これは岡の冗談ではなく本音でして、「教育の原理」の中でこんな風にいっている。「日本民族の一般の人たちの頭は、単に知識をしまっておく蔵のようなものである。民族のこの癖はなかなか急に直せそうもない。だから日本民族は、多数のいうことが正しいとする判断法は、決してとってはならない。これを忘れると滅亡は避けられないだろう。」

 ところで、「頭をひとつも使わない」の「頭」とは前頭葉のことですし、「知識をしまっておく蔵」とは側頭葉のことです。日本人は西洋人のように、前頭葉を精密に使うのが特に苦手のようで、それを補うために側頭葉の形式論理と記憶の量で間に合わせてしまうのでしょう。科学者といわれる人でも例外ではないようです。

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