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2013.06.15up

岡潔講演録(6)


「歌で読みとく日本歴史」
第1部「明治文学者の心」岡潔著

講演日:1968年5月 23日

於:有田市 宮原小学校

【1】明治以後の文学

 明治以後、日本は著しく物質というものではっきり固め てしまい、自分の肉体とその働き、あるいは機能とが自分である、などと思うようになりまし た。それまでも大分、小我的なところがあるにはあったのですが、明治以後には、だんだん、 そうとしか思わないようになって非常に小我的になっています。小我的になっていって、しか もこれが、しまいに小我以外、知らないようになってしまったようです。

 こんなふうですから明治以後の日本の文学が、歌、俳句 と限らず、文学全体を通じてみても雄勁雄大にして喜びに満ちている、というものが1つもな いのです。喜怒哀楽の“喜”などという、小さな喜びはあっても大いなる湧きいずる喜びとい うものがない。

 ちなみに、大いなる喜びというのは、どういうものであ りましょうか。

   うち靡(なび)く春来たるらし山の際(ま)の
        遠き 木末(こぬれ)の咲きゆく見れば

 この中には、湧きいずる喜びの情緒があります。これ は、尾張連(おわりのむらじ)が詠んだといいます。尾張連というのは、一般の人のような者 ですから、この頃には、大抵、みんながこんなふうに思っていたのでしょう。春が来て桜が パーッと咲いている。これが即ち、自分の喜びだったわけです。こういうのが大いなる喜びで す。

 明治以後には、この大いなる喜びの文学というものがな い。優れた文学があるにはありますが、それは大体が、哀しみと苦しみの文学でしかありませ ん。例えば、漱石のは苦しみの文学、芥川のは淋しさの文学、哀しみの文学と言ってもいいの です。石川啄木の歌、これも哀しみの歌ですし、斎藤茂吉は道外といったふうです。





(※解説1)

 ここで岡先生は「日本は明治以降、非常に小我的になっ た」といっています。我々は終戦後と言いたいところですが、見る人が見れば西洋文明が入っ てきた明治以後という方が正しいようです。 

 ここでも私の心の構造図を見てもらえばわかりやすいと 思いますが、岡のいう浅い「第1の心」が仏教でいう「小我」、つまり西洋心理学では「自 我」です。この「第1の心」の情が「感情」である「喜怒哀楽」でして、「私が嬉しい、私が 悲しい」とどうしても「私が」が入るのです。

 一方、岡は「明治以後、雄大雄勁にして喜びに満ちてい るものが1つもない」といっていますが、この大いなる喜びの世界が「第2の心」の世界と いってもよく、岡は晩年の1972年にそれを更に掘り下げて、第10識「真情の世界」がそ の世界であることを突き止めることになるのです。

 ここはいわば「無私の情」の世界ですから、従って「人 の喜びを喜び、また自然の喜びを喜ぶ」ということが可能となる訳です。これを日本では月並 に「人情と風情」と言い習わしてきたのでして、古代万葉の人々はまさにその世界に住んでい たのです。

(※解説2)

 ここでは何といっても驚かされるのは漱石、芥川、啄木 の文学の性格を一言で言い表しているところです。これもまさに卓見です。岡先生の例の「一 掴み」の論理の面目躍如たるものがあります。このようにスケールの大きく鋭い「日本文学」 のとらえ方は、今まで誰も思いも寄らなかったに違いない。言われてみればまさにその通り、 脱帽です。

 さて、漱石の「苦しみの文学」とは、漱石の作品の中で も最も多く読まれているという「こころ」がその典型でしょう。自らの恋のために、友人を死 に追いやってしまった主人公の長く苦しい心の葛藤を描いた作品です。

 次に、芥川の「淋しさの文学」の例としては、彼の自殺 がその証拠であることもさることながら、芭蕉が懐かしさや喜びの情緒をこめて詠んだ句、

  山吹や笠に指すべき枝のなり

というのを芥川は取り違えて、次のように詠んでいるので す。

 哀れ哀れ旅人は 何時かは心安らはん

  垣穂を見れば山吹や 笠に指すべき枝のなり

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