(※解説4)
今日の人の住み方、つまり政治経済は岡にいわせれば第 1の心(小我)の政治経済であると言うだろう。大体、戦後の日本国新憲法の前文からして要
約するれば「利己主義で悪かったな!」と言っているのだと岡はいう。これは戦後アメリカの
社会通念を日本が無理やり押しつけられた結果であって、それをいまだに後生大事に守り通そ うとする人々がいることは驚きである。
岡がいう「大いなる喜び」とは、人の喜びを喜びとする 第2の心の「情の世界」から生まれてくるものであって、日本人は本来西洋社会のような自己
本位がベースとなった「住み方」には全くなじまないのである。明治以後、その西洋の社会を 「普遍的進歩」だと思い違いしたところに、今日までの日本の悲喜劇の原因があったのであ
る。
私は10年以上前に、新聞に次のように書いたことがあ る。
「今世界を二分している一方の共産主義の人間観は闘争原理であり、自然観は開発主義であ
る。開発というと聞こえは良いが、これを続けると自然が崩壊することがわかった。他方、自
由主義の人間観は競争原理であり、自然観はやはり開発主義である。闘争原理も競争原理も共
に、生き残れない人が出てくるというのが前提である。こう考えていくと、両陣営とも世界を
巻き込んで厳しい対立をみせたが、実はその中実は『同じ穴のむじな』という感じがする。
さて、ここで古代万葉の頃は想像しにくいから、江戸時
代を思い起こしてもらいたい。日本は本来「情の国」であるから、人間観は共生原理、自然観
は自然順応主義の筈である。日本の伝統文化や伝統産業を見てみると、それらの原理が応用さ
れ高 度に発達していることがよくわかる。
これは世界に類を見ないことである。
日本はこのことをよく自覚して、西洋流の政治経済を早 く卒業し、第10識「情の世界」から生まれる「大いなる喜び」の日本型政治経済を、世界に
先駆けて確立すべきではないか。それには何よりも、日本人の矜持と独創性が待たれるのであ る。」(高知新聞)
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