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2013.06.15up

岡潔講演録(6)


「歌で読みとく日本歴史」
第1部 「明治文学者の心」岡潔著

【3】明治以後の政治経済

 こうやって明治以後のものを見てみると、歌・俳句はも ちろんのことですが、ともかく苦しみ哀しみの文学に優れたものはあっても、喜びの文学とい うものはありません。これを創作一般のものにまで広げてみても、大いなる喜びというのがみ られない。

 文学というのは、一番ごまかしのきかない心がそのまま 鋭敏に出るものですから、明治以後の文学に大いなる喜びというものが出ていなければ、明治 以後の日本の学問はもとより、まして政治・経済に大いなる喜びというものはないと思う外な いでしょう。事実、歴史を辿ってみてもないのです。歌・俳句を主にしてみると、大体、そう いうふうに見られます。

(※解説4)

 今日の人の住み方、つまり政治経済は岡にいわせれば第 1の心(小我)の政治経済であると言うだろう。大体、戦後の日本国新憲法の前文からして要 約するれば「利己主義で悪かったな」と言っているのだと岡はいう。これは戦後アメリカの 社会通念を日本が無理やり押しつけられた結果であって、それをいまだに後生大事に守り通そ うとする人々がいることは驚きである。

 岡がいう「大いなる喜び」とは、人の喜びを喜びとする 第2の心の「情の世界」から生まれてくるものであって、日本人は本来西洋社会のような自己 本位がベースとなった「住み方」には全くなじまないのである。明治以後、その西洋の社会を 「普遍的進歩」だと思い違いしたところに、今日までの日本の悲喜劇の原因があったのであ る。

 私は10年以上前に、新聞に次のように書いたことがあ る。
 「今世界を二分している一方の共産主義の人間観は闘争原理であり、自然観は開発主義であ る。開発というと聞こえは良いが、これを続けると自然が崩壊することがわかった。他方、自 由主義の人間観は競争原理であり、自然観はやはり開発主義である。闘争原理も競争原理も共 に、生き残れない人が出てくるというのが前提である。こう考えていくと、両陣営とも世界を 巻き込んで厳しい対立をみせたが、実はその中実は『同じ穴のむじな』という感じがする。

 さて、ここで古代万葉の頃は想像しにくいから、江戸時 代を思い起こしてもらいたい。日本は本来「情の国」であるから、人間観は共生原理、自然観 は自然順応主義の筈である。日本の伝統文化や伝統産業を見てみると、それらの原理が応用さ れ高 度に発達していることがよくわかる。
これは世界に類を見ないことである。

 日本はこのことをよく自覚して、西洋流の政治経済を早 く卒業し、第10識「情の世界」から生まれる「大いなる喜び」の日本型政治経済を、世界に 先駆けて確立すべきではないか。それには何よりも、日本人の矜持と独創性が待たれるのであ る。」(高知新聞)

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