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2013.06.15up

岡潔講演録(6)


「歌で読みとく日本歴史」
第2部 「神代(かみよ)の文化」
「昭和への遺書」岡潔著

【10】高天が原

 道元禅師や芭蕉のような、2千年に1人という大天才 も、日本民族にその必要があるから、高天が原から生まれて来て、またそこへ帰ったのであ る。調べに直して聞けば、芭蕉の句は再び神代調である。人の世には人麿・赤人で消えている 流れが、また突然ここに出ているのである。芭蕉が高天が原から生まれて来たこと明らかであ ろう。

 道元禅師の言う、「真我の人」の生の位、死の位である が、肉体の本性は無明であるから、これを持たされていると非常に智覚しにくい。たとえば塀 で囲まれているようなもので、孔をあけなければ外の景色が見えない。肉眼は孔のようなもの だろう。塀を取り払えば孔なんかいらない。だから、肉体が無くなれば智覚は非常によく出来 るようになる。情緒するには肉体はいらない。無明は邪魔になるだけである。意志は、真我の 意志だけが働く。高天が原は共通の死の位だが、意志体系についてはどうかというと、はっき りしているのは、伊勢の内宮と万世一系の皇統とである。これは八百万の神々の、誓いであ り、願いである。私はそう思っている。

 黄老の道ではどう思っているのだろう。ともかく非常に よく似ている。これらも胡蘭成氏のいう悟り識のうちである。

 高天が原がよく知りたければ、日本の歴史をよく見れば よいのである。

 日本の芸術のうち、非常によいものは皆高天が原から来 ている。たとえば歌については、神代調のものだけでは無い。西行のあれもそうである。無常 の反面を詠んだものだが、反面しかわからない人にはこうは詠めない。

 しかし、高天が原の文化というものはあり得ない。日本 民族の中核の文化というのが正確ないい方である。然し、少し生硬である。中核とは、高天が 原からじかに来ているという意味である。神代の文化と言おうと思う。網羅する方法はあるか 無いか知らない。私は時に触れ折りに触れて印象に深く残ったものだけをとることにしてい る。

(※解説12)

 これは大変に大きな問題で、とても私の手に負えそうも ない。しかし、ここで岡先生は高天が原とは「日本民族の中核の共通の死の位」だといってい る。ここには芭蕉や道元や私の身近では大野長一(土佐の良寛)や内田八郎(高知学芸中高建 学の父)、そして中核中の中核である岡潔もいることだろう。日本歴史をよく見てみると、そ れは要所要所で遇然によって方向を変えているように見えるが、これは高天が原(日本民族の 中核)が日本を天から操っているのだと岡はいう。

 しかし、これは仲々そうは思えないらしい。例えば岡は 司馬遼太郎と対談をしたことがある(岡潔集第3巻)。その中で日本歴史の細かいところで は、お二人とも話がよく合っているのだが、こういった大局観になると司馬さんでさえ「そう いう天の意志というものはよくわかりません」といっているのです。

 私から見ると司馬さんという人は、日本歴史の資料とい うものを桁違いに多く読んだ人ではあるが、残念ながら岡のように日本歴史の大河の流れを一 掴みにし得た人ではないと思う。これは人間観、世界観の認識の深さに帰着するとは思うが、 何よりも「心の構造」が本当にわからなければ、とてもできることではないのである。

(※解説13)

 岡は「日本の芸術のよいものは皆高天が原から来てい る」といっている。岡が著書「日本のこころ」の中で言及しているのは、先ずは良寛の書であ る。岡は「天上大風」という良寛の書を見たとたん、何が何だかわからないが一切がわかって しまったと言っている。これが芸術の真の鑑賞法ではないだろうか。私はこれが「意識を通さ ない」日本独特のわかり方だと思うのである。

 一方、絵の方では昨今人気の高い熊谷守一である。飄々 とした生き方、奔放自在な作風もさることながら、何よりもその作品に特徴なのは「作意」が 全く感じられないことである。だから岡も絶賛して1969年に出版の「曙」には「皆さん、 熊谷さんの画は一つ一つが高天が原の風光ですよ」と書かれている。

 先にも触れたが、私の絵の会の大野長一の絵には良寛の 「意識を通さない」という特徴と熊谷の「作意がない」という特徴と、そして岡のよくいう 「微(かそ)けさ」という特徴の全てが備わっていて、大野は全国的には無名ではあるが、こ れもやはり高天が原の芸術の1つではないかと私は密かに思っているのである。

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