(※解説14)
この「幽玄の美」というものが、真の芸術には欠かせな
いものだと私は思う。これの伴わない芸術が今はまことに多いのであるが、幽玄は真の芸術の
第1条件ではないか。
しかし、この「幽玄」とは何だろう。私はそれは「意識
を通さない美」だと言いたい。今は芸術は迫力だ、色彩だ、自己主張だと、人の意識に訴え人
の意識を刺激することばかりやっていて、意識を通さない美、つまり岡にいわせれば
「微けさ」には丸で無関心である。これは意識を重視する西洋文明の弊害によると思
うが、それは何故かというと、意識(第6識)は五感(前5識)や欲望(第7識)と同じく、
刺激を強めることによってしか感じないものであるから、次第にセンサーが麻痺していくので
ある。従って、これら全てが第1の心の特徴である。
岡は「微けきものは強い!」といったが、この「微けき
もの」が「幽玄」である。芭蕉の数々の句にはそれが如実に現れているし、能や茶道や生花な
ど日本の伝統文化にはその「意識を通さない美」つまり「幽玄」を感じさせるものが少なくな
いのである。
猶、岡先生には俳句は沢山あるのだが、和歌はまことに
少ない。この「川の面は…」の歌は和歌では唯一の作ではないだろうか。
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