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2013.06.15up

岡潔講演録(6)


「歌で読みとく日本歴史」
第2部 「神代(かみよ)の文化」
「昭和への遺書」岡潔著

【12】天意の雪嵐

 私は高知県の小・中学校長会で「仏教の言葉を借りて明 治以前を語る」という内容の話をしたことがある。そのとき私は言った。「今日はじかに神代 の話をしたかったのであるが、勉強が足りなくて出来なかったのである。」

 そして、その夜のことである。翌日帰る積りでいると、 突然雪を伴った嵐がおそって来て、汽車も船も出なくなって帰れなくなってしまった。

 私は何もすることのない高知市の一室に、もう1日いる ことになった。私の関心はおのずから神代という言葉に集中され続けていたらしい。その夜暁 近くなって少しまどろんで覚めると、私の大脳前頭葉の映写幕に、歌と俳句とで書かれた日本 史が展開された。私はそれをもとにしてこの随想を書いたのである。

 心の1か所に関心を集め続けていると、内容の無いもの が姿を持って来るという心の大切な働きのよい例である。

 それよりも、私はこの突然の雪嵐の襲来を天意だと思っ ている。

(※解説15)

 岡先生と私との出合いは、正にこの1968年の高知で の講演会であった。大学受験直前であったが、私の友人で今は亡き浜田真孝君が私をその講演 会に引張っていってくれたのである。

 私は数学者が仏教を語り、漱石の文学を語り、日本民族 の危機さえ口にするなど、不思議な感覚でその講演を聞いたのであるが、何といっても印象に 強く残ったのは聴衆の反応が鈍いとわかった岡先生が、突如として「これがわからんか!!」 と怒鳴ったことである。私はその一喝で目が醒めるような気がしたのであった。

 その後、1974年に奈良の自宅で直に岡先生に面会し た時、そのこ とを先生に申し上げると先生は、懐かしそうに「お前だけはわかってくれたか」と言わんばか りに、ただ「そうか」と静かに言ってくれたのである。その言い方が初対面であるにも拘ら ず、いかにも身内にいうような言い方であったのが、私は何よりも嬉しかったのである。私は その事実を以ってして、岡潔の弟子の末席に身を置く者と自負して憚らないのである。

 ともかくこの高知での講演は、岡先生がそれまで長く住 んできた仏教の世界から古神道(日本の心)の世界へと明確に移行した記念すべき時点であっ て、私は奇せずしてその場に立ち合ったことになるのである。

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