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横山賢二 新聞記事


【14】本当の自然回復は人の心の問題

高知新聞 1994年(平成6年)9月3日(土曜日)

 

 今日やかましく言われているのは、「自然保護」ということです。が、この「保護」という言葉が、どうも私には腑(ふ)に落ちません。

 例えば、親が、子供を保護するというのであれば分かります。しかし、人が自然を果たして、保護できるものでしょうか。私は、その逆ではないかと思います。

 ご承知のように、昨年は米不足。今年は水不足。機械化した農業でも、いくら立派なダムを造っていても、肝心の自然の前では、人は無力だということは、身にしみて分かったはずです。

 ところで、今日、われわれが採用している自然観は、「開発」「管理」「保護」という、一連の思想で貫かれています。これは、実は人が自然を支配できるのだという、西洋の自然観に基づくものです。これは大変思い上がった思想だと、言わざるを得ません。

 私は、今日の環境問題の行き詰まりは、ここにあると考えています。

 われわれの祖先は、山の木一本切るにも、井戸一つ掘るにも、随分神経を使ってやってきました。山の神や水の神を恐れたのです。ここでの、人と自然との関係は、先ほどの西洋の自然観とは全く逆で、人は自然に抱かれ、その恵みを受けて生きているのだという、大変、謙虚な思想です。これがわれわれ本来の自然観です。

 「自然の荒廃は、自然開発に始まって自然保護によって完成する」というのが、私の持論です。本当の自然の回復は、金や技術の問題ではなく、人の心の問題だと私は思うのです。

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