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2015.02.09up

岡潔講演録(13)


「人とは何か」

【4】 百姓のまごころ

 それで、日本の百姓をみてみます。ここに日本の百姓が1人いる。山の上に畑を開き、わずかばかりの大根の種を蒔く。それが生えると、遠い家から肥しを運んできてこれに掛ける。この百姓の労作が大根に対する愛情を芽生えさせる。これ、第1の心が芽生えたんですね。愛情は第1の心、前頭葉の心です。

 で、この大根に対する愛情のために、百姓はせっせと労作を重ねて、愛情はますます育つ。で、ある夏の朝、百姓は愛する大根のために遠い家から重い肥しを運んで大根の所へ行ってみると、大根は非常に元気にしていて、その葉脈のはしばしまで露の玉をつけている。それがあたかも昇ってきた太陽に輝いて、きらきらといかにも嬉しそうにしている。それを見た時、百姓は自分の大根に対する真心はこれですっかり報われたと思う。真心は第2の心、無私の心です。

 無私の心がかように芽生えましたから、無私の心がメロディーを奏でる。つまり、これまでの労作に正確に当てはまる、そういうメロディーを奏でる。それを聞いて、百姓は無上の幸福を感じる。無上の幸福とは、最早やこれ以上何も要らないという幸福。そういう幸福を感じる。真心という無私の心が芽生えたら、その心がこれまでの労作に相当するメロディーを奏でるのです。

 この百姓の受ける無上の幸福は、本人だけにわかるがあとの人には一切わからない。だからこれを「自作(じさ)自受(じじゅ)」と云う。(みず)から()して、作法の作です、自から受ける、自作自受と云う。日本の百姓の不思議な勤勉さはこの自作自受によるのです。

(※解説4)

 日本の昔のお百姓が猫の額ほどの田畑を耕しているのを大規模農業の西洋人が見て、大笑いをしたという話を聞いたことがある。

 外見から見れば西洋の農業と日本とでは大人と子供の違いがあるようにも見えるのだが、農業を心の方面から内面的に見てみれば、それは全く逆転するように思うのである。つまり日本のお百姓の内面の心の豊かさや充実感の質は、西洋に比べて格段に高いのである。

 岡がそれを「百姓のまごころ」ともいい「自作自受」ともいうのだが、不思議な勤勉さをもつ日本のお百姓の内面のメカニズムを、これほど的確に描写したものが外にあるだろうか。これは農業ばかりではなく、日本人の生産活動全般にわたってもいえることである。

 岡は和歌山の橋本市慶賀野(げかの)というところで48才で奈良女子大に奉職するまで、数式を地面に書きながらサツマ芋を作るということを長年続けたのであるが、その時の経験がこの話には間違いなく生かされているのである。

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