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2015.02.09up

岡潔講演録(13)


「人とは何か」

【6】 自作自受と学問芸術

 それじゃ学問、芸術に対して自作自受はどんなふうか、お聞きになりたいでしょうから、わたし自身の例をお話しします。

 大東亜戦争に突入しました時、わたしは「しまった、日本は滅びた!」と思いました。それでしばらく呆然としていましたが、1億同胞死なば諸共という声に励まされて、それもよかろうと数学研究の中に閉じこもりました。一旦この中に閉じこもりますと、外はどうあろうと、中は晩翠の言葉を借りますと、

閑雲野鶴(かんうんやかく)空闊(そらひろ)

  風に(うそぶ)く身はひとつ

 月を湖上(こじょう)に砕きては

  行方波間(ゆくえなみま)舟一葉(ふねひとは)

こんなふうなんです。

 そうこうしているうちに夏になりました。わたし札幌にいたんですが、北海道の夏は実に美しい。それで壺中(こちゅう)の別天地から出て、札幌の植物園に毎日行くことにして、そして植物園の中で数学に関して泥洹界を逍遥する、そういうことを毎日やっていた。実に楽しかった。そのうち夏も終りに近づいてきた。朝淡い明け方の月が出てた。それで札幌の夏ももうこれでお別れか、また壺中へ帰らなきゃならんとそう思いまして、

 夏も早や残月の夢の別れ哉

そう詠んだ。

 ともかくこれが自作自受。芸術に対しても同じである。無心にやっていると、何ともしれず楽しい。これが自作自受です。

 ところで、その自作自受は学問に対していつ頃から出来るようになるかと云いますと、わたしの経験では、よほどよく出来はじめるのは旧制高等学校の頃からです。それで学問に対する自作自受が完全に出来るようになって、そして大学へはいる。

 大学へはいる為の入学の資格というのは、学問に対して自作自受ができるということ。これは是非いる。他のものは何もいらない。そういう訳です。これが自作自受。学問、芸術に対しては、一般の場合よりも一層はっきりする。

(※解説6)

 この「自作自受」は日本のお百姓や女工さんばかりでなく、学問芸術の世界でもいえることである。

大学へ入るための唯一の資格がこの「自作自受」であると岡はいうのだが、今は得てして学問芸術の世界ではノーベル賞に代表されるように、人目をひく業績をあげて社会的名声を得ることが学問芸術の目標となっているきらいがある。

 しかし、果してそれで良いのだろうか。今日のように学問芸術の世界にいろいろな矛盾や弊害が生じるのは、実は逆にそのためではないだろうか。人の為すべきことは、自らがそれだけで無上の幸福を感じるという「自作自受」の生き方に徹することであって、それのみが学問芸術の真の姿のはずである。

 そうでないと得てして学問芸術がただの流行に流れたり、形式的で皮相な成果ばかりを追求する結果となってしまうのである。岡は数学をはじめとする当時の学問芸術が、ほとんど全てそういう状態に陥っていると苦言を呈している。

 しかし一方、この「自作自受」の良い例としては、私の絵の会の大野長一は歌や詩をくちずさみながらキャンバスに向かったという逸話が残っているし、私の教育の会の内田八朗は国語の先生であったが、「学問には汲めども尽きぬ喜びがある」といい残しているのである。岡をはじめとして、共に「自作自受」の生涯に徹した方々である。

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