「人とは何か」
【7】 小林秀雄の死の位
で、自作自受の生活を徹底してやっていますと、どんなふうになるか。自作自受の生活を充分自覚して送って、死んだらどうなるか。それを申します。
頭頂葉を白紙にする。それから運動領は無明と云いましたが、無明は生きている間は生きようとする盲目的意志です。これを無明のもとに、メリケン粉のようなサラサラしたものに変えてしまう。これを中天(中という字と天という字)、中天と云うことにする。生きている間はそれに生きようとする盲目的意志が働く、死ねばまた中天にかえる。
それで頭頂葉を白紙にして運動領を中天、頭頂葉が白紙になれば運動領は中天にかえるのです。そうしておいて、裸の第2の心のタンジェンシャル(tangential)メロディーを頭頂葉へ置いてやる。タンジェンシャルメロディーって云うと死の刹那のメロディーですね。
頭頂葉のメロディーが自分だというのは全メロディーですね。そうすると、充分自作自受が出来てますから、頭頂葉の全メロディーが自分である。生きようとする盲目的意志が自分だとは思いませんから、頭頂葉の全メロディーが自分だということは充分わかっていますから、それで頭頂葉の全メロディーの雰囲気の漂うている、そこが後頭葉、後頭葉へ行きます。
小林秀雄さんだと、そこで選り抜きの出土品の勾玉に最後の別れを惜む。そして充分その感銘を身につけて、そうしてかように頭頂葉の感銘を充分身につけて側頭葉へ行く。
ここは頭頂葉の雰囲気が後頭葉に伝わって、その雰囲気を単一メロディーあるいは標語に練りあげるんです。云わば仙丹を練るんです。必要な道具立てはみな備わってる。で、小林さんは、ここで、
赤玉は緒さえ光れど白玉の
こんなふうに練りあげる。これはメロディーじゃなく標語です。
そうして、前頭葉へ行って、前頭葉で世の中へ出て行く。前頭葉は意識です。この標語を握って前頭葉へ行って、つまり日本へ行って、このメロディーを奏でるのに都合がよい家を選んで生まれる。こんなふうになってる。
|